孟子の根本思想は、「性善説」だ。性善説とは、人間は基本善だというもので、まあ言葉そのまま。人間の根本は善だといっても、にわかにはそんなことを信じられない人も多いだろう。悪い人もいそうだし、そもそもアイツなんて何考えてるか分からないよね、みたいなことはある。そんなものをすべて突き抜けて、人間とは善であると確信することが性善説であり、これを言うといいすぎかもしれないが、「リベラル」であるというこになると思う。  孟子の性善説は、孟子という書物の「告子章句上」というところで語られていて、吉田松陰がこの告子上句上にどのような箚記をあらわしたかというのは非常に興味深いところだ。  実際に興味深いところを書き抜いてみよう。  時は幕末で、ペリー来航の直後だ。「今いかなる田夫野郎といえども、夷てきの軽侮を見て憤懣切歯せざるはなし。これ性善なり。幕府の老中奉行より、皆身をもって国に殉じ夷てきを掃討するの処置なきはなんぞや」  ここには論理の飛躍がある。なぜ攘夷が性善なのか。   この飛躍を埋めるためには、当時の日本の置かれたギリギリの状況を考える必要がある。ヨーロッパ文明は南北アメリカ、北アフリカ、インドと植民地化しながら、19世紀初頭にアヘン戦争で中国侵略の糸口をつかむところまで来ていた。日本とは全くの風前の灯状態だった。このような認識を吉田松陰が持ったとして、その認識は正しい。この正しい世界認識によって、攘夷と性善の概念が重なるということはありえると思う。実際にどのように攘夷と性善とが重なったかというとを論証するということは、正直私程度の知識程度では難しい。  ただただ思うのは、性善説というものが日本を一体化するのに力があったということ。ヨーロッパが植民地にしやすい地域というのは、一体性がない地域ではあったろう。個別で抵抗されるより、集団で抵抗される方が侵略者としてはきついだろう。日本が江戸末期、植民地化を免れたのは、世界の他の地域より集団で抵抗したからだ。では日本を集団たらしめたものは何かというと、まあ天皇とか歴史とか事象としてはいろいろあるだろうが、思想としては性善説だよね。この性善説が江戸中期以降、武士においては葉隠れ、庶民においては通俗道徳として、日本の一体感を徐々に高めてきたのだと思う。吉田松陰とは幕末に現れた日本の一体感を高めるところの、最大のイデオローグだ。  幕末は今につながっている。性善説は日本を一つにしている思想だ。嘘だと思うなら周りを注意深く見渡してみればいい。  何らかの価値の序列というものが世界観というものを形成する。日本という世界観を形成したところの価値の序列をもたらした思想。  その思想をもたらした性善説。  その性善説と尊皇攘夷、うーん、重なってきたと言えないかな。  ここまで来ると恐ろしい話でね、ちょっと「正義」とは何かを考えてみよう。正義とは価値の序列の存在するところにしか存在しない。性善説がだよ、日本の価値を秩序付けたとしたらどうだろう。それは性善説は正義だなんていう言説に帰着するだろうか。違うな。性善説は正義として絶えずエネルギーを提供される側に回るだろう。吉田松陰のいう「やむにやまれぬ大和魂」とはこれだろう。   うーん、ここまでいろいろ書いてみて思うのは、まあ奇妙なものに振り回されるのはゴメンだけれど、性善説というよさげなものに振り回されるのなら、それはそれで悪くないのではないかなということ。   どうでしょう、この結論じみたもの。