坂口安吾が「ふるさと」という言葉を語りだすのは、昭和17年発表の「文学のふるさと」あたりからだ。しかし昭和23年発表の「死と影」で、坂口安吾は昭和12年ぐらいの時の自伝的なものを書いていている。

その中で三平という、まあほとんどホームレスみたいな人間と坂口安吾は友達になる。
三平は言う。

「センセイ、いっしょに旅に出ようよ。村々の木賃宿に泊まるんだ。物をもつという根性がオレは嫌いなんだ。旅に出るとオレの言うことがわかるよ。センセイはまだとらわれているんだ。オレみたいな才能のないやつが何を分かったってダメなんだ。センセイに分かってもらって、そしてそれを書いてもらいたいんだ。旅にでれば必ず分かる、人間のふるさとがね。オヤジもオフクロもウソなんだ。そんなケチなもんじゃないんだ。人間にはふるさとがあるんだ。そしてセンセイもそれがきっと見える」  

私は太平洋戦争の総力戦の状況が、坂口安吾をここまで押し上げたと思う。人間のふるさとを見てそれを書き記すなんていうのは、ふつうありえない。私も日本文学をかなり読んだけれども、この坂口安吾のふるさと論が近代日本文学最高の到達点だと思う。   

そして荘子にも同じような言説がある。  

「会えば離れ、成すれば壊れ、角は砕け、貴は辱められ、愚は堕ちる。知を積み重ねても、それは悲しい。弟子よ、これを記せ。ただ道徳の郷があるだけだと」  

荘子をここまで押し上げた何かが、戦国末期の中国にはあったと思う。坂口安吾をあそこまで、あの時代が押し上げたように。  

これは全く微妙な話で、語っている自分でさえ、その論理に自信がない。しかし、中国戦国というのは2000年以上過去の事象だし、中国戦国ファンというのも日本に一定数いると思う。

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