私は子供のころ、大人になると魔法が使えるようになると思っていた。  大人や大人の手下の子供は、多くの事を断言する。子供の私は、断言なんて全ての事を知っていないと出来ないよね、と思った。いくら大人でも全ての事を知ることはできない、だから彼らは魔法を使っているんだと思った。  さすがに中学生になると、そんなハリーポッター的な考えは薄れたけれど、なんだか断言する人間にビクビクする精神は残った。  これじゃダメだと思った、こいつらの上からかぶせていかなくてはいけないと思った。そんな私の心の基点が文学だった。私はただ彼らと共に断言する側に回ることだけは拒否した。  けっこうこんな感じでやっていけるもんだよ。あいつらたいした根拠があって、断言しているわけじゃない。結局何かに寄りかかって自信のある振りをしているだけ。あらゆる人間がそうだよ。例えば、人格者の医者は人格者なりの言説を語るだろう。しかしそもそも医学なんていうものは、あれは確固とした科学なのか。医学が二流の科学だとするなら、人格者の形をした医者は本当に人格者なのか。  このような論理はあらゆるものに当てはまる。彼らはただあいまいなものに寄りかかって断言しているだけなんだ。断言することを拒否した子供の私は、真っ直ぐに誠実ではあったと今でも言えると思う。  人間が怖くて引きこもっているなんていう人に言いたい。虚構を恐れて人生を無駄にする必要はない。