この世界の仕組みみたいなことを考える。分かりやすいので日本を例にとってみる。江戸時代以前というのは、日本とそれ以外の世界との境目というのはあいまいだったろう。江戸時代の鎖国政策で、その境目が多少はっきりした。そして19世紀にはいると、西洋のプレッシャーがきつくなって、日本はこのまま手をこまねいていれば日本は西洋の植民地になるだろうという状況になった。  日本はどうしたか?   根源的なことを言えば、価値観に明確な序列をつけて、価値の高いとされるものを国民に強力に推奨するという方法に出た。例えば、東洋よりも西洋だとか、貧乏よりも金持ちだとか、弱兵よりも強兵だとか。日本の世界は傾いて、日本人は傾いた世界が当たり前だと思うようになる。  日本の指導者層というのは、傾いた日本世界のその傾きの実践者であり表現者である。明治時代に、天皇の写真を火事になった校舎のなかに取りに行って焼け死んだ校長というのがいた。この人なんかは、日本世界の傾きの体現者だろう。 中流庶民というのは、ここまでは求められない。日本社会の傾きの実践者である必要はないのだけれど、傾いている振りはしなくてはいけない。世間体を保つとか空気を読むとか、まあそのようなことが求められる。  あと下層民とされる人たちがいる。このような人たちは、世界が傾いているなんて話をそもそも理解しようとしない。社会の虚構より日々の生活ほうが圧倒的にリアルに感じるのだろう。  かつて日本は自らの世界を傾けることによって独立を維持するエネルギーを内から調達しようとした。そのおかげで今の日本は、まがりなりにも先進国の一角を占めている。  ただムリをしたから社会の歪みみたいなものはある。上層階層を目指すなら、世界の傾きに強制的に自らの心の傾きを合わせてがんばらなくてはいけない。神経症にもなるだろう。中流庶民には絶えず嘘くささが付きまとう。例えば、乗っている車のレベルで人を判断するなんていう浅い思考で十分だと思うようになる。 そして下層階級は空気を読まないから馬鹿に見えるんだよね。  この世界が傾いているのはしょうがない。ただそれぞれの人がそれぞれの人と理解しあえるようになればいいなと思う。