「荘子」という書物は、戦国末期から前漢にかけて成立したという。もう2000年以上前になる。「荘子」は、価値観に序列をつけない、この世界にメリハリをつけない、なんていう根本思想を基本にしたさまざまな言説の集合だ。結果的に、アンチ近代の思想であり、アンチ近代の言説集合だ。  
現代のこの世界にはある種の傾きがある。他者とコミュニケーションをとりながら働かなくてはならないとか、日本と例えば韓国とは違う国なるものであるとか、もう本当に何でもいいのだけれど、ブスの女と付き合うのは恥ずかしいとか、贈り物は松坂屋がいいとか、まあ様々なレベルで傾きがある。「荘子」はこのような傾きを全て拒否する。 
 中国の春秋戦国時代というのは傾きのある世界だ。近代世界と似ていると私は勝手に判断している。戦国時代に入ると中国は領域国家にスキマなく分割される。今と変わらないだろう。戦国末期にはそれぞれの国家が、その存続をかけて総力戦を戦う。近代の二つの大戦とかぶるものがある。
  そんな中国の戦国末期に「荘子」は現れる。 
 「荘子」の冒頭はこのように始まる。 

 はるか北の海に魚あり。その名を「コン」という。コンの大きさ、何千里か見当もつかない。形を変え鳥となる。その名を「ホウ」という。怒して飛べば、その翼は垂天の雲のごとし。  

さらにこうある。  

海の激しく荒れる時、その風に乗り上ること九万里。まさに南の海に移らんとす。

 「ホウ」なる巨大な鳥とは何なのかというと、結局明確な説明は「荘子」内には一切ない。まあ素直に考えれば、ホウとは中国を統一するであろう帝国の隠喩だろう。これは私が勝手に素直に考えた仮説なんだけれど。 
 そもそも現代日本に存在する様々な社会的傾き、価値の序列、の多くのものは、日本が世界の中で生き残るためにある時点において設定され受け入れられたものだと思う。もし世界が一つに統一されたなら、日本特有の社会的傾きなんて必要なくなるだろう。世界の傾きが失われた時に立ち現れるのが荘子の言説だと思う。 

 羊角して上ること九万里  だって  

かっこいいよね。