紀元前209年、始皇帝は死に二世皇帝『胡亥(こがい)』即位。この胡亥が暗君で、秦は滅亡したとも言われるが、これはどうだろう。何百年も続いた春秋戦国時代をついに統一したその秦が15年で滅亡って、ちょっと不思議だよね。その不思議さを解明するヒントみたいなものが、陳勝の言葉の中にかすかに響いているような感じがする。  

二世皇帝、名は『胡亥(こがい)』。東の方、郡県を巡る。『趙高』に言っていわく、
「我、好むところをつくし、楽しみを極めて、吾が人生を終えんと欲す」と。
趙高は言う。「陛下、法律を厳格にして、刑罰を過酷にして、旧臣を除けば、すなわち枕を高くして、志をほしいままにするだろう」と。胡亥、これを然りとし、努めてますます法を厳酷にす。公子、大臣多く死せらる。陽城という町の陳勝という男、若くして人の田を耕す。手を休めちょうぜんとして言う、
「我、富貴となれど、ここの太陽、ここの土、ここの匂い、ここの人々を忘れない」と。
みな笑って言う、
「なんじ、ただ雇われて田を耕すのみ。どうして富貴となろうか」と。
陳勝、ため息をついて言う、

「ああ、燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」(小さい鳥には大きい鳥の気持ちはわからない) 

ここに至り、『呉広』と兵を起こす。陳勝・呉広は秦の辺境の守備に赴く小隊長となる。おおいに雨が降り、道を失う。陳勝は言う。「おまえらは時間を失った。これ秦の法において斬首にあたる。死ぬのなら、ただ名を上げるのみ」と。さらに言う。

「王候将相、いずくんぞ種あらんや(人間の価値に血統などというものがあるだろうか)」

 皆これに従う。 陳勝・呉広、、胡亥の兄『扶蘇(ふそ)』、楚の将軍『項燕(こうえん)』と詐称し、国を大楚と称す。諸郡県の衆、秦の法に苦しむものは争いて秦の長吏を殺し、以って陳勝に応ず。