自分の子供が自分の本当の子供かなんて考えること、これはありえる。ただ本当にDNA鑑定しちゃうなんていうのはない。                                                                司馬遼太郎によると、西日本の農村においてはかつて夜這い婚というものが存在していた。夜這いというのは青年が、夜、村の娘の寝ているその寝床に、まあなんというか、思いを遂げるためにチャレンジするということ。女性には相手を拒否する権利がある。暗闇とはいえ女性には相手がどのような男かということは分かるものらしい。女性はこの男だったらいいだろうと判断したら受け入れる。女性もそのように何人かの男を受け入れていると妊娠しちゃうよね。で、妊娠すると女性は、今まで夜這いを受け入れた男性の中から好きな男を選んで夫婦になることができる。まあ、めでたしめでたしだ。これをもし男が拒否したのなら村八分になる。ここでのポイントは生まれてくるだろう子供は100%自分の子供とは限らないということだ。女性の自己申告なのだから。男性はその自己申告なるものを受け入れるしかない。                                                    私は個人的には、このシステムで別に何の問題もないと思う。                               自分の育てる子供は自分の血のつながった子供であって欲しいと思うのは男の感情だとは思うのだけれど、そもそも自分だって他の女に夜這いしているわけであって、自分の子供をよその男が育てる可能性だってあるわけだ。残酷な現実を知る必要もないと思うし、男も女も結局は孤独なものなのではないのかな。                自分の嫁とだよ、互いが互いの胸を掘り崩しあって、その子供は二人の魂の結晶って、そういうこともなくはないだろう。                                                                 ただそれってなんだかちょっと甘いような。                                           寝物語で、夢見るような男と女の会話というのもありえると思う。でも、覚醒状態で夢見るなんていうのは甘いよね。自分が童貞だからって、相手が処女なわけじゃない。日本の伝統にはDNA鑑定なんていう精神はない。男、もっと頑張れ。