インドで興った仏教が日本に伝わってきました。でも、日本の仏教と言うものには、輪廻転生というインド風の思想が薄いのではないのかと日頃思っていました。

私の田舎では葬式なんかの後でお坊さんを囲んでのお話みたいなものがありました。クソ坊主を中心に当たり障りのないような、お互いをヨイショするような話をするわけです。高校生くらいのときかな、私、そんなのが我慢できなくて、

「仏教においては、来世というのはどう考えているのか」

とか

「般若心経の意味はなんなのか」

とか、空気無視の質問をねじ込んで、かなりのひんしゅくを買ったことがあります。私でさえ普通はそんな親戚の間で空気無視みたいなことはしないです。親戚同志がお互いの人物批評みたいなことをしても、相槌ぐらいはうちます。しかし、人の死に関わる場面では、そうはいかないね。ここを逃しては彼らには自分の内面を見つめるなんてことはないのではないのかと思って、ある種の善意で坊主に食って掛かるわけです。

まあ、それはいいとして、インドから中国に入った仏教は、中国人の老荘的なフィルターを通して理解され、それが日本に伝わったそうです。

ある意味あたりまえですね。

日本では、自然にする、というか、人為的なものを排除してあるがままを楽しむ、ということが伝統であるとされたりしますが、それは老荘思想の流れを汲んでいます。民族という枠組みで日本を考えるのではなく、東アジアという枠組みで考えないと、日本の本質にはたどり着けないと思います。いま、中国がどうとか韓国がどうとか話題になったりしますが、そういう話題はげんなり。ある種の呪いではないのかな。とにかく大きい枠組みで物事を考える事が大事だとおもいます。