丸山真男の「日本の思想」は有名な評論だと思う。その内容はというと、日本の思想は伝統的に座標軸が欠如していて、あらゆる外来思想を等価値に自分の中に抱え込み、時代にふさわしい価値観をそのつど取り出すというスタイルだという。結論として、このようなずるずるべったりの思考をしているから日本はだめなのであって、日本人は強力な自己制御力で価値観を序列化し主体を生み出すことが必要だ、というものだ。           これだけの解説だと分かりにくいかもしれない。                                      補足をしておく。一人前の人間とは何かというと、自らが自らを制御する人間ということだろう。では自らを何を手がかりに制御するのかというと、自ら信じるところの一つの観念によってだ。その観念によって自分の周りにある価値観を秩序づけるわけだ。ここで大事なことは何の観念で自分の世界観を秩序づけるかということ。その中心観念は出来るだけ正義に近い方がいい。お金とか世間体とか会社とか、その程度のものを中心観念にしてしまうと、それによって出来上がるであろう世界観は、福沢諭吉に言わせれば惑溺、プラトンに言わせれば思惑、まあそのような中途半端なものになるだろう。                                         そして丸山は、日本にはそのような自ら選択した観念によって世界を秩序付けようという伝統がなかったという。丸山が「日本の思想」を書いたのが昭和32年だから、昭和32年までは世界を秩序付けようとする努力が日本には乏しかったということだろう。丸山が言うには、明治以降に日本に世界を秩序付けようとする強力なイデオロギーが西洋から来たという。ひとつはキリスト教でもうひとつはマルクス主義だ。それは間違いではないだろうけれども、キリスト教とマルクス主義なんていうものが日本のこの世界を秩序付ける本流にだよ、常識的に考えてなりえるだろうかと思って。丸山が「日本の思想」の中で言外に言おうとしていることは、日本人は戦前、その世界観を秩序付けることが出来なかったからファシズムに喰われてしまった。キリスト教やマルクス主義によって日本人それぞれがだよ、自らの世界観を秩序づけて一人前の人間になっていたのならあのような太平洋戦争は起こらなかったという、まあそのようなことがいいたいのだと思う。確かに、日本人は戦前、その世界観を秩序付けることが出来なかったからファシズムに喰われてしまった、という論理には真理を含んだものがあると思う。ただ、キリスト教やマルクス主義によって日本の世界観を秩序付けるべきだという論理はどうだろうか。日本には日本の正義があってしかるべきだと思う。                                           さらにいえば、明治維新以降の日本の歴史は自らの世界を秩序付けようとする苦闘の歴史だったと思う。自らの正義を探して流離う日々だった。太平洋戦争の大敗北というのは、日本人が自らの世界を秩序付けることの失敗の結果だったろう。しかし失敗したからといって、日本には世界を秩序付けようという伝統がない等と簡単に言ってしまうのはどうだろうか。明治維新から太平洋戦争まで80年間、失敗したとはいえ世界を秩序付けようとした歴史があるわけで、ここまで来るとこれも一つの伝統ではないだろうか。