「孟子」の万章章句上で孟子はこのように語る。                                    

「天子は天下をもって人にあたうこと能わず。誰かこれを与えし。曰く、天これをあたう」                 

この後、天は喋ることが出来ないので人民が新しい天子を支持することによって天の意思が証明される、という感じで続く。

秩序が第一義であるとしてしまうと、暴君が現れても臣はそれに従わなくてはいけないということになるのだけれど、孟子の論理を使うなら、暴君が現れた場合には秩序を乱す革命も可能であるということになる。

孟子は通常の時代状況の場合は秩序を重んじ、暴君が現れるなどという異常時には革命も容認するというフレキシブルな社会認識であるともいえる。しかしこれをもっとトータルに考えてみると、君主と人民とは互いにやるべきやって国としての一体感というものを強化するべきだ、という思想に行き着くのではないか。

この思想は、一君万民ということにもなるだろうし国としての総力戦ということにもなるだろう。総力戦の世界においては、個人の幸せというものはその人の潜在能力か最大限に引き出された時に顕現されるということにもなるだろう。

「孟子」という書物は紀元前からあるのだけれども、これがメジャーになったのは、朱子が「孟子」を四書の中の一つに引っ張りあげたからだ。
                                                    700年前に中国が宋という時代だった時、朱子が「孟子」を四書のひとつに大抜擢した、逆に言えば「孟子」が朱子をして大抜擢させたという。宮崎一定は中国の中世と近世の境目は宋の建国にあると語っている。近世が孟子を必要としたのだろう。

孔子の儒学というのは礼とか徳とか、さらにいえば君臣の秩序父子の秩序を賞賛するのだけれど、「孟子」は、秩序というものを突き抜けて天とか人民とかを第一義に置くという革新的なところがある。

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