いつも思うのだけれど、中国思想の厚みというのはすごいよね。ヨーロッパ哲学の方が翻訳なんかが充実していて手に入りやすいのでついそっちを読んでしまうのだけれど、やっぱり日本というのは中国文明圏にあるわけで、日本を理解するためにも中国を理解していかないととは思う。

哲学って何なのかって考える。
私が思うのは、哲学というのは結局、人間において集団とか社会とかというものがいかにして成立しているのか、ある一定の人間集団の秩序をいかにして保つのかということを考える学問だと思う。人間集団の社会性というものは無条件に与えられるものではないし、かといってそれがなければ個々の人間は生きていかれない。その微妙な感覚を昔から人々は考えてきたのだと思う。

現代においては哲学の衰退ということが言われているけれども、それは第二次大戦後、民主主義というものが何十年かの間かなり安定的に機能してきた結果で、人間集団の社会性というものは無条件に与えられていると多くの人が考えてしまっている結果だと思う。

私は自由な民主主義が好きなので、私が死ぬまでこの世界が続いてくれればいいと思う。でもあまりにこの世界のやさしさに寄りかかりすぎるのもどうかと思う。過去において社会の秩序を維持しようとした人たちの真摯な声に耳をかたむけるのも無駄ではないだろう。
社会の秩序を維持するにおいて、その社会の構成員の人数が増えるほど加速度的にその困難さは増加していくだろう。中国は秦の始皇帝以来その巨大な一体性を維持し続けているわけで、すごいよなー、中国哲学って一つの宇宙だろうな。

プラトンの「国家」という本はすごかったけれど、中国にはあれを越えていく論理というものがあるような気がする。そういうものが見つけられればいい。