2500年前、ソクラテスとプラタゴラスは、「徳」とは教えることが出来るのか出来ないのか議論した。

ソクラテスは徳は教えることが出来ないと主張した。徳があるとされている人たちの子供が必ずしも徳があるとは限らない。徳が教えることが出来るのなら、例えばペリクレスの子供は必ず有徳な人物になったはずではないか。

ソクラテスの意見に対して、プラタゴラスは徳は教えることが出来ると主張した。
そしてこのプラタゴラスの論理がすばらしい。

「彼らは子供達を教育せず、十分な配慮もしていないというのだろうか? いや、ソクラテス、していると考えるべきだよ。
彼らはね、まだ子供が小さい頃から始めて、子供が人生を歩み続ける限り、教育としつけを行っているのだ。
それでは、父親が優れているのに、その息子の多くがつまらない人間になってしまうのはどうしてか?  
それでは、われわれ全員が笛の演奏家でないと、国は成り立つことができず、各人は可能な限りの演奏力をもたなければならないと仮定してみよう。私的にも公的にも、全ての人が誰にでもその技術を教えてやり、技術を与えるのを惜しむもの等いないとする。ソクラテス、その場合きみは、すぐれた笛の演奏家であれば、劣った演奏家の息子よりも、優れた演奏家になる見込みが少しでも高くなると思うかね? 私はそうだと思わない。にもかかわらず、これらの息子達が、みな十分な笛の演奏家であることも事実なのだ。何も知らない素人と比較するならね」

これほど力強く簡明な啓蒙の論理は聞いた事がない。この論理は万能だ。この万能さは、例えば現代で発展途上国がいつまでも発展途上国なのは、教育が足りないから啓蒙の力が足りないからという先進国の受け入れやすい論理に簡単に帰着する。

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【プラトンは巨大な謎を解いたよ】

エヴァンゲリオンの破で、使徒に食われた綾波をしんじが助ける場面がある。「翼をください」のバックコーラスで、エヴァンゲリオン史上最高の場面だ。

綾波はなぜ救われたのか?

しんじが結界を乗り越えたこと、そして綾波がしんじに対して手を伸ばしたこと。
これは一つの奇跡だ。奇跡が私たちを浄化する。

ソクラテスはこの簡単な啓蒙主義に疑念を抱いた。そして私は綾波としんじとのあの「翼をください」の場面を思い出す。啓蒙などという単純な論理でしんじは使徒のあの赤い膜を突き抜けることが出来ただろうか。啓蒙などという単純な情念で綾波はしんじに手を差し伸べただろうか。

プラトンは見事にこの謎を解いたよ。果たしてエヴァンゲリオンには解けるだろうか?

 
巨大な謎の解決編
プラトン「国家」詳細レビュー