相沢三郎という人物をご存知だろうか。

相沢三郎中佐は、昭和10年単身で陸軍省の建物に乗り込み、軍務局長の永田鉄山を日本刀で斬殺。犯行時に指を切ったので陸軍省の医務室で手当てを受けているところを、憲兵に連行されようとして、

「私はこれから台湾に赴任しなくてはならないから」

と答えたという。

普通に考えれば、頭のおかしいヤツによる殺人事件ということになります。しかし、相沢中佐は頭が狂っていたのでしょうか。

王陽明の「伝習録」読んでいる時に、私は相沢三郎の事ばかりを思い出しました。

陽明学は社会に参加するということを重視します。隠者の生活を拒否し、善意によって社会に働きかける事を推奨します。
陽明学は人間の本質を善であると設定し、その善を曇らせるような小市民のモラルを断固拒否します。
陽明学はその善の質を重視して、量というのは問題にしません。質として純金でさえあれば直ちに聖人と合一てきるのですから。
陽明学は日々の節制によって、自分の中にある善をさらけ出して、その善を直感で把握します。

これ、全部相沢三郎そのものではないでしょうか。

相沢三郎は昭和10年時、すでに45歳です。ロートルで口数も少なく、45歳で中佐ということは、そう頭が切れるというわけでもないでしょう。皇道派の若手からすれば、尊敬すべき先輩ではあっても、それ以上の人物ではなかったでしょう。

しかし、その相沢がやってくれました。歴史に残る「相沢事件」というやつを。後に二二六事件を起こした将校達は、相沢三郎を陽明学で言う「純金」として認識したと思います。私でさえそう思ったのですから、間違いないです。

相沢が夏の暑い日に陸軍省の廊下を歩く時の足音、軍務局長の部屋へ続く扉のノブを右いっぱいまで回したときの感触、扉を引いた時のかすかな軋み。


全てが眼前で繰り広げられているような。