「正義」とは何か、という難問をプラトンは見事に解いた。
正確に言うと、2500年かけて解きかけている。その辺のところを解説してみたい。

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【正義とは何か】



ソクラテスが正義とは何なのかと問われる。心の中は邪悪でも正義の振りをして、金をかせいだり評判を得たりしてさらに死んで歴史に名を残そうものなら、それはもう結局正義なのではないのかという。ソクラテス、正義を救ってくれというわけ。
これは難問だよ。

ソクラテスは、個々人の正義を語るのは難しいと考えて、比喩として正義の国家を語ろうとする。まあ関数を一つ減らそうというわけだ。ソクラテスは正義の国家の条件をいろいろ考えてみる。例えば、能力があれば男も女も関係なく指導者層に入るべきだとか、正義国家の指導者は子供のころからの厳しい選別によって選ぶべきだとか、正義国家の指導者は私有財産を持ってはいけないとか、まあこんな感じ。これこそが正義国家だというわけ。しかし、これだけだとトートロジーになってしまう。

ソクラテスは続けて、この正義国家の堕落した形態というのを付け加える。正義国家は、名誉支配国家、金持ち支配国家、民主国家、独裁国家とこの順番に堕落していくという。

そして正義国家の指導者とと独裁国家の指導者との魂の善の容量を比べて、正義国家は善だよねという話になる。その後は、魂が善なら魂は不滅のはずだとか、さらに実際に魂が不滅だという伝説の紹介だとか、エピローグみたいな話になる。

プラトンの正義の言説において大事なことは結局、

「正義国家は、名誉支配国家、金持ち支配国家、民主国家、独裁国家とこの順番に堕落していく」

というここのリアリティーにかかっていると思う。

現代先進国の多くは民主国家であって、ここに暮らす人々は歴史の進歩の結果民主国家が成立したと思っている。しかし、ソクラテスにとっては民主国家なんていうものは堕落の結果の下から二番目の国政なんだよね。

本当に現代の民主国家は歴史の必然として独裁国家に変換してしまうのだろうか。かつてワイマール憲法下においてヒットラーという例もあった。プラトンの「国家」のリアリティーがほとんど証明されかけた時代もあった。

現代の私達は2400年前のプラトンに、お前らは民主制を頑張れるのか、と問われている。イギリスのEU離脱は、この民主国家から独裁国家への階段を一つ降りたということだと思う。同じことがもちろん日本にも問われている。

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