ソクラテスは正義についてたずねられる。

2500年前のギリシャも今の世界と変わらない。当時も親は子供に、

「正義を実行しなさい。そうすれば正義のもたらす評判があなたの役職や結婚に有利にはたらくようになるだろう」

と言っていたという。

「正義を実行する振りをしていれば、それだけお金儲けをするチャンスも増えるというもの」

このような言説もありふれていたらしい。
今と変わらない。

ソクラテスは正義を救出してくれと頼まれる。評判やお金によって正義が救われるのではなく、正義そのものの価値によって正義を救ってくれといわれる。

正義そのものとはなんなのか。これは難問だよ。

この難問に答えるために、ソクラテスは長い思考の旅に出る。

この難問のソクラテスなりの結論を書くと、
「個人や国家の中には、知恵と勇気と欲望という3つの部分が存在して、正義とはこの3つの部分を明確に区分けさせながら、知恵が勇気の力をかりて欲望を制御するという、個人なり国家なりの一体性を保障するところのものだ」
というものだ。

これに対しての反論というのはいくらでもあると思う。例えば、自由の価値というのが低く見積もられてはいないかなんていうのは現代の自由主義陣営においては有力な反論だろう。
しかし本当に、人権、民主主義、市場経済、などという価値は普遍的な価値なのだろうか。西洋文明が巨大であったから、それらの価値が普遍的なものに見えたけれども、さらに大きな価値観を前にすれば、西洋文明も相対化される可能性もあるのではないだろうか。

ソクラテスによれば、理想の国家においてはその成員にたいしてそれぞれ役割が割り振られる。割り振られるというと強制的な感じがするのだけれど、その国の中で暮らしている人からすれば、時期が来れば自然と自分のやるべきことが分かるというレベルだと思う。

プラトンはこのように言う。

「例えば彼が大工であって、病気になりもし長期の療養を命じられたとするなら、このように言うだろう。自分は病気などしている暇はないし、病気のことに注意を向けてね架せられた仕事をなおざりにしながら生きていても何の甲斐もないのだ」

「かれはその後医者に別れを告げて、いつもの生活へと立ち返り、自分の仕事を果たしながら生きていく。またもし彼の身体がそれに耐えられるだけの力がなければ、死んで面倒から解放されるのだ」

これは2500年前の原始人の言説だからといって、笑って見過ごせるものではないよ。この日本に生きる意味をを失いかけて魂が彷徨っている人間がいったい何百万人?いるだろうか。

ソクラテスはさらにこのように言う。

「彼には課せられた一つの仕事があって、それをしなければ生きている甲斐がなかったからではないかね? 」

方や死なないから生きているというレベルの人も存在するわけで、現代の自由主義世界では、前後二人の人生の意味の優劣をつけることは難しい。自由の世界においては価値の選択も自由だから。

しかし本当に自由を突き抜けるほどの真理や正義は存在しないのだろうか。

プラトンは全く驚くべき答えを用意していた。つづきはまた今度です。




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