もう純文学なんて読む人は絶滅危惧種だろうけど、ミステリーはまだまだ現役。ミステリーのいいところはある程度の面白さが保障されているところだろう。殺人事件が起こって、名探偵が謎を解くというこのカタルシス。

ミステリーの特徴として、犯人が最後告白するんだよね。まあ、自分が何でこんな殺人を犯してしまったのかということを。

告白ってなんなのかと思う。

そもそも犯罪者が告白する必然性というものはない。例えば家業が泥棒なんていう一族があったとして、その一人が捕まったとしてその人は最後に告白などするだろうか。結局、告白などと言うものは登場人物と同じ世界に参加しているという前提があっての話でしょう。私はこの世界に参加するべきだったのだけれども、結局参加できなかった顛末みたいなのが告白なわけでしょう。

「化人幻戯」で登場人物の女性がこのようなことを言うのです。

「双眼鏡をのぞくということは、告白小説を読むことと同じようなことでありますわよね」

告白を聞くということは「のぞく」ということなのですね。名探偵が謎を暴く。犯人が告白する。そして読者がそれを「のぞく」。名探偵が暴く謎なんていうものはパズルみたいなもので、この謎解きパターンが一番シックリするでしょう程度のものだ。アーなるほどねと言うわけ。名探偵は知の扉への鍵を握っている。この答えが一番シックリするから、それが正解だなんていう必然性は本来ない。にもかかわらず名探偵は蓋然的に真理に到達して、犯人は告白して、名探偵の寄りかかる知のヒエラルキーは安泰だ。名探偵は警察と仲がよかったりとか、アメリカ返りだったりとか、ドイツ語がペラペラの東大生だったりとか、驚くほどの知のヒエラルキーへの寄りかかりっぷりだ。
医者のミステリーだったり弁護士のミステリーだったりいろいろあるとは思うのだけれど、眉目秀麗の主人公は医学だったり法律だったりに寄りかかっていないか? 眉目秀麗だとか医学とか法学とかは本当に確固とした科学として存在しているのか。狂人に対して自らの正当性を一点の曇りもなく主張できるのか。

ミステリーが救われているのは、この自らの根底のばかばかしさに気づいている可能性があるということ。だからまだ面白いものが存在するのだと思う。