バフーチンは「ドストエフスキーの詩学」のなかで、このように言う。
このモノローグ世界では、単一で必然的に唯一の意識と並んで、無数の経験的な人間の意識が存在する。真理の立場からすれば、個々人の意識などは存在しないも同然である。意識のうちで本質的なもの、真実なるものはすべて意識一般の単一のテキストに入り込み、個性を喪失してしまう。

うん、その通りだろう。
さらにバフーチンはこのように言う。
モノローグ世界が認める認識上の個別化現象の唯一の原理とは誤謬である。

誤謬とは何かというと、結局狂気ということだろう。思い出すのはフーコーの「狂気の歴史」だ。フーコーは狂気についの言説からこの世界を理解するための足がかりを得た。狂気とはこの世界が回収しようにも回収しきれなかった、なんていうか大げさに言うなら旧世界の痕跡みたいな、普通に言えばちょっとした違和感というか、そんなものだろう。

トータルで考えるとどういうことになるのか。

フーコーは現代においては誰もが歯車で、英雄なんていうものはありえないと言う、そんな実感のこもった言葉。たしかに近代以降の英雄的人物も結局記号みたいなものだとは思う。

何故そうなってしまったのか。
あの人は頭が良いからとてもかなわないなんて考えてしまうことはない? そんなことを考えて引け目を感じる必要は全くない。この世界には個性を英雄化するルートなんてない。結局頭がいいとか、顔が可愛いとかそんなものは、この世界においては単なる記号に過ぎない。逆に考えればオープンマインドで頑張っちゃえばいいという簡単な話。

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