バフチン「ドストエフスキーの詩学」のなかで言う。

「単一で唯一の理性を崇拝するヨーロッパ合理主義が、近代におけるモノローグ(独白)原理を強化し、これが思想活動のあらゆる領域に浸透した」
例えば、近代以降の小説は三人称客観というスタイルで書かれている。三人称客観とは、作者や読者の視点が小説の登場人物を絶えず俯瞰できるようなシステム。このような近代小説システムも強化されたモノローグ原理の一つだろう。

さらにバフチンはさらに。
「単一の意識が自己を充足させるというこの信念は、思想家達が個別に作り出したものではなく、近代の思想的創作活動の構造に深くくいこみ、その内的外的形式を規定している一つの特質なのである」

言っていることは、1970年代のミッシェル.フーコーが語っていたことと変わらない。そして驚くべきことは、この「ドストエフスキーの詩学」の初版は1929年だということ。

こんなことがあるのかと思って。

バフーチンはここまで近代とは何かという真理に迫りながら、
「ここでわれわれに関心があるのは、文学創作におけるモノローグ原理の現れ方である」
とドストエフスキー言及にもどっていく。

世界の真理をつかむのは、自己満足のためではなく、愛するドストエフスキーのためであるという。ここまで来るとバフーチンの「ドストエフスキーの詩学」という本は、恐ろしくも美しい愛の物語とも言えるようなものに昇華してくるだろう。

あらゆる近代文学は古びていく。ドストエフスキーを除いて。小説それ自体を読んで楽しいなんていうことがもうない。私が森鴎外や夏目漱石を読むのは、その小説を読んで大正という時代を覗きこめるからという不純な理由に過ぎない。


なぜあらゆる近代文学が古びていく中、ドストエフスキーのみが古びないのか。

これはとても大きな問題で、まず近代の小説思想とは何かということを知らなくてはいけない。そして近代の小説思想とは何かととうことは、近代とは何かと問うことだ。



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