パノプティコン 一望監視装置

社会の秩序はいかにして保たれているのかという問題。もちろん保たれたり保たれなかったりするわけなのだけど。日本の江戸時代なんかは、1割の武士が武器を独占する貴族階級として支配していたんだろう。神様には嘘はつけないというプレッシャーも秩序維持に一定の役割があったかもしれない。

では現代の先進国はいかにして秩序が保たれているのか。

もちろん警察とか刑法とかは抑止力になっているだろうけど、こんなものにお世話になる人なんていうのはよっぽど。ほとんどの人は自ら秩序を保とうと努力する。ざっくりいってしまうと、現代日本では対人関係においてのマナーみたいなものがそれぞれに訓練されてある。特に若い人ほど訓練されている感じ。
みんな自ら秩序を保とうとしている。

神様がいるとしたら話は簡単だ。神様には嘘はつけない。秩序は保たれるであろう。
だがもしも神様がいないとしたら? 
すべてが許されてしまうのか?

ベンサムは19世紀初頭、パノプティコンなるものを考え付いた。一望監視装置。これは監獄を効率的に運営するシステムだ。監獄の中心に塔があって、そこに監視人がいる。塔の周りに見晴らしよく部屋が配置されていて、囚人は塔の監視人に常時見張られているという圧力を受けて生活する。見張られているから秩序を保つ。

そして長い時間の果てパノプティコンは進化した。
1人が多くを監視するのではなく、互いが互いを監視するとどうなるだろうか。その世界に住む個人には多くの人に見られているという意識が発生するだろう。正直これではオナニーも出来ない。実際ヨーロッパの近代にはマスターベーション撲滅運動というのがあった。

さらにパノプティコンは進化しつつある。
他人に見られているという意識が内在化すると、自分が自分に見られているという意識になる。ここまでいたれば現代社会においても結構高級な部類の人間に入ると思う。今こういう人が増えている。いいことなんだろう。

頭上に良心以外いただかずなんて北一輝は言ったけれども、それに私も心から同意するのだけれども、結局大文字の良心なんていうことは神を失った人間の成れの果てなのかな。良心なんていうものは結局パノプティコンの必然的な結果程度のものなのかな。