世界システム論が私たちに与えた影響というのは大きい。例えば日本が先進国でハイチが発展途上国だとして、何故そのような格差が存在しているのかと考えてみる。簡単に考えてしまうと、日本人が頑張ってハイチ人が頑張らなかったということになる。江戸時代の日本人の識字率が高かったがハイチは低かったのだろうとか、このような思考パターンも頑張った日本人頑張らなかったハイチ人論理の一つの変形だと思う。

しかし世界システム論はこのようななんとなくうさんくさいと思わせる単純論理を明確に一掃した。ハイチはイギリスからの投資で砂糖のモノカルチャー経済に特化させられた。砂糖を生産するハイチ、砂糖を消費するイギリスという枠組みに捕らえられ、ハイチは世界経済システムの周辺に釘付けられてしまった。永遠の発展途上国。日本は世界システムのあまりに辺境にあったために、世界システムの周辺に釘付けされることなく世界システムの中枢に参加する資格を与えられたという。

耳に心地よい偏見は真摯に見直されなければいけない。

今の日本が先進国であるのは明治人がすばらしかったからであるとする。西郷や大久保、高杉晋作や伊藤博文など綺羅星のごとくの天才。天才達が作り上げた明治国家を昭和の凡人があの太平洋戦争で台無しにしてしまった。
このような歴史観は全く疑われなくてはいけない。

最近の世論調査では中国嫌いが8割以上だという。
なぜか。
頑張った日本は先進国で、ぐずぐずしている中国は発展途上国なのが当たり前だというのが20世紀の論理だった。ところが最近になっての中国の急成長で、中国の経済規模は日本をはるかに超えてしまった。馬鹿にしていた国が急に自国よりも大きくなってしまって恐怖感みたいなものがあるのだろう。
しかしそもそも、頑張って先進国になった日本とぐずぐずして発展途上国だった中国、なんていう認識は正しかったのだろうか。
正しくもない前提に基づいて日本人の中国嫌い8割なんていうのでは、これはちょっとひどいのではないか。戦後を生き抜いてお年を召した方たちには救われない偏見というのが魂にこびりついていたりする。しかしけっして彼らは悪人というわけではない。日本人と中国人の人間的な交流がさらに盛んになれば、中国怖いみたいな幻想も薄れていくだろうし、どうしようもない歴史の力が日本と中国を遠く離してしまったということが体感できる時が来ると思う。