ピエール リヴィエールは二十歳のときに母と妹と弟を殺します。1835年、フランスのノルマンディーにある小さな農村での出来事です。
ピエール リヴィエールは狂気に取り付かれていたのでしょうか。そう考えれば安心できますよね。なんせ3人も殺しているのですから。このリヴィエールの手記が残っています。殺人にいたるまでの手記。

手記を含めた事件全体を観察して、カーン市のある医学博士はこのように当時の新聞に投稿しています。

「親に対する敬愛や感謝の気持ちが度を過ぎ、狂人達はみずからの知性を総動員して妄想の対象のうちに立てこもる。誤った観念をいくつか組み合わせた後、彼らはそれを真理とみなす。そしてそれに基づいて正確に推論し、そこから合理的な結論を導き出すのである」

一見正しいことを言っているように聞こえるが、まずこのような言説は徹底的に疑ってみなくてはいけない。狂気の外側に真理があり、医学博士なる権威はその真理なるものを直感しており、真理を狂人に悟らせるのが我々権威ある知識人の役割であるというわけです。なぜ真理と権威とは直感で無条件に結び付けられているのか。狂気の中にも真理があるということありえるのではないか。

狂気とは何かともう一度問う。
1828年、フランスのある精神科医はこのように主張する。
「部分的狂気(モノマニー)が一種の狂気とみなされるのは、情念それ自体が狂気と同一視される限りにおいてのみのことである」
すばらしい。自らの核心に自ら一歩近づいている。

すなわちある基準を越えると情念は狂気になるという。ではその基準とは何なのか。おそらく真理に裏打ちされた権威か、権威に裏打ちされた真理か。
突き詰めて考えるとこの世界が狂気であるということもありえる。近代西洋世界は合理性を優先する。一見正常であるように見えるが、しかしこの世界の根底は、世界は合理的であるはずだという非合理的な情念によって支えられていると言えるのではないか。すなわち狂気か。

観念や真理や権威が互いに寄りかかりあって成立しているのだとしたら、その関係性が古びてしまうということも十分ありえます。その中でリヴィエールの殺人に至る手記が現代においても生々しさを失っていないとしたら、これは一つの復讐みたいな、ささやかな罠みたいな、なんだかそんな感じがします。