16世紀ヨーロッパのミクロコスモスの観念だって。
「類似」という観念で連鎖的にさまざまな世界をイメージしていくというものです。これは別に難しいことを言っているわけでもなんでもなく、一年に四季があるから人間の一生にも四季があるとか、自分に命があるのだから日本という国にも命があるとか、まあそんな考え方だと思います。古臭いように見えて、これはなかなか馬鹿に出来ない思考法です。西田幾多郎の「善の研究」もミクロコスモス的な考えを発展させたような感じでした。

16世紀のヨーロッパは古典復興の時代でもあります。失われた古代に解釈すべき巨大な空間が広がっているということなのでしょう。戦前の日本にもありましたよね、古典復興、ロマン主義。保田 與重郎。

京都学派と日本浪漫派。これは「近代の超克」座談会ということになります。

16世紀の中世末期ヨーロッパ的世界が戦前の文学界に「近代の超克」として現出したということは、あの近代の超克議論というのは反動だったということになりますよね。

日本浪漫派と京都学派は話のかみ合う可能性があったわけで、この辺はもっとよく考える余地があるように思います。