時代は大正。主人公の名前は時任謙作、年齢は30歳くらいでしょうか。

この時任謙作という人物は志賀直哉の分身だと思いますが、大正時代の純文学の主人公にしてはかなり突き抜けた人物です。
ある日突然、謙作はその兄から衝撃的な告白をされるのです。おまえは父と母の子供ではなく、父の父すなわち祖父と母との子供なのだ、というものです。

私は読んでいて、
「ああ、ここから父親殺し的なエディプスコンプレックス的な話が展開するのかな」
なんて思いました。

ところがそうではない。謙作は衝撃の告白から一晩ぐっすり寝ると、心持がけっこうスッキリしてしまうのです。何か重大な遺伝病についての告白ならともかく、自分が祖父と母の子供であるという程度では自分が自分であることの同一性に変更はないのではないかと、謙作はあっさりと悟ってしまいます。

謙作は竹さんという人と知り合いになるのですが、この竹さんの嫁というのが「生来の淫婦」で、旦那の竹さんがいるときも男を連れ込むのです。嫁と男の事が終わるのを、竹さんは台所で洗い物をしながら待っているという噂。それを聞いたときの謙作の発言。

「少し変わってるな。それで竹さんが腹を立てなければ、よっぽどの聖人か、変態だな。一種の変態としか考えられない」
ただし彼にもそういう変態的な気持ちは想像できないことはなかった。

狭いところを敢えて突き抜けたみたいなすがすがしいものすら感じます。同じ時代の小説である夏目漱石の「心」では、「先生」は友人の好きだった女性を横から取っちゃって、友人はショックで自殺してしまいます。それを「先生」は悩んで、十何年後かに自身の自殺を予告する長文の手紙を残します。
私なんかは、この謙作と「先生」のコントラストってすごいなって思ってしまいます。

時任謙作の暗夜行路はまだまだ続きます。でもこれ暗夜じゃなくない? 時任謙作、かなり明るいところを歩いてない?
「暗夜行路」の最後の方なのですが、謙作の妻の直子が不倫をしてしまうのです。現代でも不倫というのは離婚の事由になります。さらに時代は大正ですから。さらに妻の相手がその従兄弟だというのですから、なおさらきつい。きついというか気持ち悪いですよね。
でも時任謙作は許しちゃうんだろうなーなんて予想できてしまいます。で、実際に許しちゃうんですけど。ただ妻とその従兄弟がやった時間を逆算して、自分の子供が本当に自分の子供であるかという検証はしています。またそこが時任謙作らしいところなのですが。

この志賀直哉という作家、賛否両論かなりあると思います。
でも私は好きです。何か突き抜けたものがありますよ。