池田信夫がブログで柄谷行人を馬鹿にしたようなことを言っていますが、柄谷行人は池田信夫を相手にしたりしないでしょう。
なぜなら池田信夫は柄谷行人に二周ほど遅れているから。二周も遅れたら相手にする気にならないと思いますよ。

二周遅れるとはどういうことか説明してみましょう。

例えば明治維新以降、日本は近代に入ったとします。日本近代初期において、社会の秩序というものはその社会の外側から与えられます。一般の人たちは近代というものがよく分かっていないので、近代にふさわしい社会的秩序を外側から教えていこうというわけです。いわゆる啓蒙思想ということになります。池田信夫の論理というのはこれです。かつてのテレビマンの悲しい性というべきなのでしょうか。まあ知識人が一般民衆を啓蒙していこうという態度です。このような知識人なるものは英雄史観をとりがちです。陸奥宗光みたいな人が戦前にいれば太平洋戦争は防げたとか、太平洋戦争はルーズベルトの陰謀だとか、そのようなことを語ってしまいます。
時代はめぐって、大正から昭和に入る頃になると、社会の秩序はその社会の中にこそあるという思想が現れてきます。社会の秩序はその中にあると考えるほうが、社会そのものを合理的に編成しやすいのです。太平洋戦争は日本にとって究極の戦争でした。戦争は、華族とか地主とか左翼知識人とか社会の秩序はそのそとから与えられると考える人々を全て押し流してしまいました。戦中において、日本は急速に自らを「意味というものは自分の中にあるもの」だというより合理的な社会に編成しなおされます。
戦後も反動のようなものはあったでしょうが、基本線は秩序とか意味とかというものはそのものの中にあるということであったと思います。
これを突き詰めて言えば、この世界にそれぞれの日本人が存在している意味というのはそれぞれの日本人の中にあるということです。そして国家は民族のそれぞれの自由意志なるものを誘導することによって莫大なエネルギーを得ているわけです。

この時点で池田信夫は一周遅れています。

自分の存在している意味が自分の中にあるという考え方は、すばらしいエネルギーになる反面、個人にかなりのストレスをかけます。同じ日本人でも自分と他人が別の意味の中で生きているということになると、どうしても個人に孤独のプレッシャーというものがかかってきます。現代日本において大量のうつ病患者が発生するのはここに原因があると思います。柄谷行人は「世界史の構造」や「帝国の構造」でこのような現代社会を超克しようとしているのだと思います。オスマン帝国や中華帝国のような緩やかな共同体をヒントに、ポスト現代の可能性を探っているのだと思います。
これは普通に考えて簡単なことではない。
失敗が約束されたようなチャレンジみたいなものです。

このチャレンジを嗤う池田信夫は、柄谷行人から二周遅れているというわけです。

戦うものの詩を戦わないものが嗤ってはいけない。