坂口安吾「日本文化私観」、昭和17年発表。

この中で坂口安吾は美について書いている。日本的美、例えば金閣寺や法隆寺なんていうものは美しいといえば美しい。ただそれは歴史というものを念頭に入れて初めて納得する程度の美しさである。金閣寺などの美しさはこのはらわたに食い込んでくるようなものではない。では真に美しいものは存在するのか? 坂口安吾はあるという。そしてその真に美しいものとはなにか? ここで彼は驚くべき発言をする。

東京の聖路加病院の近くにあるドライアイス工場

このドライアイス工場は一切の美的考慮がなく、ただ必要に応じた設備だけで一つの建築が成り立っている。そしてこの工場の緊密な質量感が僕の胸に食い入りはるか郷愁にまでつづく美しさを立ちあらわせるという。
これはよく分かる。
風景的なぼんやりとした美なんていうのはウンザリなのです。漫画の例えで申し訳ないのだけど、「ナウシカ」のドルクの浮砲台や「ぼくらの....」のジ・アースの方が僕らの胸に食い込んでくるのと同じでしょう。さらにいえば、この世界に生まれてお金を稼いでいい生活をして死んでいった人間と、この世界に生まれて自分なりの戦いをして死んでいった人間と、どちらの方が近代人の共感を呼ぶ人生かという事だと思う。

坂口安吾はいうのだよ。金閣寺とドライアイス工場とどちらが美しいかと。この問いを坂口安吾が発したのが昭和17年。今の時代は73年前にやっと追いつきつつあるという程度ではないのか。

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