トンネルを抜けるとそこは雪国だった、というアレ。よく考えると、門をくぐるとそこはカリオストロ公国だったとか、朝起きたら毒虫になっていたとかと同じことですよね。
結界をこえるとそこにはある種の理想世界があるという、まあファンタジーということです。

「雪国」の場合、向こうの世界に行くと、ひなびたしかし心休まる温泉宿があって、日本美人の芸者があなたを待ってくれているわけです。ネタバレ的なことまで言ってしまうと、芝居小屋見たいなものが火事になって、それを見物していると流れ星まで見えてしまったという、日本風なアトラクションも用意されています。まさに美しい日本。哀れで悲しげではかなげで。
うん、これはこれですごくいいと思います。

問題はこの「美しい日本」なるものが本当にあるかどうかです。ぶっちゃけ正直に言うとそんなものはないよね。坂口安吾は昭和22年、堕落論の中でこういっています。
「戦争中は農村文化へ帰れということが絶叫されつづけていた。しかし一口に農村文化というけれど、そもそも農村に文化があるか。文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない」
全くその通り。坂口安吾はさらに続けてこういう。
「日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬賛美が過去へ向けられる。その結果が今日の無残きわまる(太平洋戦争の)大敗北となっている」
いやこれ全くその通り。

「雪国」は本当によく出来ている。あたかも美しい日本が実際にあるかのように思わせる力があったし、今もあるかもしれない。当たり前のことなのですが、それはファンタジーであって、トンネルを抜けるとそこに日本美人が私を待ってくれているなんてありえないです。

「雪国」はファンタジー