岡山県に笠岡市という町があります。そこの笠岡ラーメンというのが最近有名になっているらしいです。笠岡ラーメンというのは「さいとう」というラーメン屋が基本なのですが。ラーメン「さいとう」はもう存在しません。この失われた「さいとう」を再現しようとすることが、笠岡ラーメンのまあ魂みたいなものでしょう。

私は1980年代に「さいとう」にかなり通いました。30年たって伝説になるほど当時流行っていたというわけではありませんでした。ある時、テーブルにおいてあるコショウをラーメンにふりかけたら全然コショウの味がしないのです。だからどんどんふりかけていたら、小さなビンに3分の1ぐらい入っていたコショウを全部使ってしまった、なんていうことがありました。「さいとう」は流行ってるというわけでもなく、細かいところに気をつけるというわけどもなく、ただ普通の昔ながらのラーメン屋でした。

メニューはラーメン300円のみ。大盛りとかすらなかったと思います。大盛りと言えばしてくれたかもしれないですが、わたしもそんな注文を一度もしたことはないし、他の人がそんな注文をしたことを一度も聞いたことはない。お客さんはガラガラと引き戸を開けて店に入って、ちょっと硬いような椅子に座って、お冷を持ってきてくれた娘さん?にむかってただ
「一つ」
というだけです。それでラーメンが出てきます。何の問題もありません。

父娘でやっていたと思うのです。お父さんのほうは奥でラーメンをつくる役割で、ほとんど顔は見ないのですが、娘さんが忙しい時には、たまにそのお父さんが奥からラーメンを運んでくるのです。1980年代の時点で、70歳ぐらいだったと思います。娘さんというのは当時40歳ぐらいでしょうか。本当にごめんなさい、正直美人というわけではなかったです。

笠岡ラーメンというのはしょうゆ系のラーメンにカシワのチャーシューが乗っているというのが特徴です。とりたててインパクトのあるラーメンというわけではない。ただ何日かに一回はどうしても食べなくてはいけないという、そんなラーメンなのです。私が「さいとう」で食べていると、妊婦さんが一人で入ってきて、「一つ」と言って、ラーメンを黙々と食べていた事がありました。ただ思うのは、おなかの赤ちゃんも大きくなれば「さいとう」のラーメンを食べるようになるのだろうなということです。このような思考は妄想でも洗脳でもなく、あの「さいとう」の空間にいれば自然とそのような考えにいたるというような、そんなリアルな実感みたいなものなのです。そのような実感を多くの人が共有していたからこそ、「さいとう」がなくなっても、それを再現しようという人が現れるのだし、それを食べようという人が現れるのでしょう。そんな情念が、遠く離れた関東でも笠岡を知らなくても笠岡ラーメンは知っているという人を存在せしめるのだろうと思います。

死んだわたしの母親は、
「あんたがさいとうを好きなのは、あんたがおなかにいるときもここのラーメンを食べてたからだよ」
と言っていました。
わたしの妹は、
「齋藤よりも、ほかのラーメン屋のほうが私は好きだった」
と言っています。
それでかまわないのです。

【金曜日限定発送】お多津・笠岡ふるさと中華そば
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