「草枕」は奇妙な小説です。主人公の画家がどこかのひなびた温泉に行って、現地の人と少し仲良くなったという筋としてはそれだけです。では何を文庫本で170ページも書いてあるのかというと、様々なパターンのレトリックです。

「草枕」の出だしは有名です。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
まあ、犬も歩けば棒にあたる、みたいなものですね。

温泉に泊まって、静かな夕暮れ。主人公は机に向かって様々な言葉が浮かぶのです。
敢えて市井の「どうしゅうじ」を「きかく」して、好んで高く「ひょうち」するがためではない。ただ「しゃり」の福音を述べて、緑ある衆生「きしまね」くのみである。

何を言っているのか全く分かりません。漢語風なのかということがうっすら分かる程度です。

宿の近くに風流な池があるというので、主人公は出かけていきます。そこに椿がたくさん咲いていました。
みているとぽたりと赤いヤツが水の上に落ちた。また落ちる。人魂のように落ちる。年々落ちつくす幾万輪の椿は水につかって、色が溶け出して、漸くそこに沈むのかしらん。

このように様々なパターンのレトリックを次々と繰り出してくるわけです。夏目漱石、わざとやってますよね。筋を引き立てるためのレトリックというのではなく、レトリックのためのレトリック。「草枕」、読んでてつまらないわけではないですよ。こんなレトリックもあるのかと感心するところも多いです。ただ不思議なのは、何のために夏目漱石はこんな小説モドキのものを書いたのかということ。そしてね100年前の実験小説に現代の私達が心ときめく。これはなんなんだろう。

近代日本を理解するための一つの鍵ですよね。このような謎を体感できる日本の歴史の厚みと切実さというのは、日本というものの魅力です。



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