この世界で生きる意味を失うということはありえると思います。現実にリアルな肌触りを感じる事が出来なくなるという事だと思います。

呪われているのです。大事なことはリアルを信じる事です。これは別に宗教とか洗脳とかそんなのではなく、リアルを大事にするという、ただ普通に生きるだけの事です。

「病床六尺」にはリアルな肌触りがあります。正岡子規が死ぬ4ヶ月前の文章を要約してみましょう。太字は原文です。

昔の友達から手紙が来ます。
「提灯をぶら下げた品川時代が懐かしい」と
ああ、あいつもあの時の事を覚えているのか。8年前の春、二人で目黒の牡丹亭という料理屋に行った。そこで給仕してくれた愛嬌のある女を口説いたのだが、相手にしてくれない。
品川の方へ廻って帰らう
ということになった。例の女は提灯を持って我々を途中まで送ってくれることになった。
その女との別れ際、女は提灯を覗きながらその中へ小さき石ころを一つ落としこんだ。そのあと二人で品川に出た。品川は先日の火災の後で、小屋のようなものの窓から女どもがこちらを覗いている。珍しがってうっかりと佇んでいるこの時、我手元より炎の立ち上るに驚いてうつむいて見れば、提灯に火が移って燃えているのであった。

うたた寝に 春の夜浅し 牡丹亭

無駄なところが一つもないこのリアル、この理。最後の一句でぴったりと世界が収まるという、このみっしりとした感じ。精神が分裂してしまう余裕なんかない。このリアル。この肌触り。この世界は存在するんだという事を私たちに知らしめてくれています。
この世界はどんなゲームよりもリアルだということを教えてくれます。

当たり前なのですけれど。