近代以降の人間の意識世界は、精神的なものと物質的なものとに分裂しています。これは論理と感情と言ってもいいし、観念と情念と言い換えてもいい。
日常、自分の意識というものは、論理的な自分が支配しています。しかし何かの価値を判断しなくてはいけないときには、意識的な自分は「内面の自分」にその価値を問いかけるのです。これは許されるか許されないかみたいな感じで。「内面の自分」は意識的な自分に何らかの価値判断をやんわりと教えてくれるわけです。

現代日本人の多くは、上記のような精神構造をしているのではないでしょうか。これは難しい話でもなんでもなく、そのような精神構造を持っている人にはたちどころに分かる話で、持っていない人には理解不能な論理でしょう。

これは私の個人的な仮説なのですが、
意識的な自分が存在しているにもかかわらず、「内面の自分」が勝手に語り出したのなら、それは多重人格障害であり、
意識的な自分が「内面の自分」を切り離してしまったのなら、それは統合失調症であり、
意識的な自分が衰えて「内面の自分」が露出してしまっているのなら、それはアルツハイマー型認知症であるのではないでしょうか。

日本において近代以前は、このような精神と物質の二元論的人間意識というものはなくて、内面の自分なんていうものは存在しない一元的人間意識の世界でした。歌舞伎とか浄瑠璃とかよく分からなかったりしないでしょうか。説明されればその劇の筋の意味は分かるのですが、ただ意味が分かるだけで、江戸時代の人々が何故このようなものに熱狂したのかは分からない。その分からない理由というのは、人間意識のありようが違うからなのでしょう。
日本人の人間意識の転換が起こったのが、明治20年代だといわれています。それから100年以上たって、日本人はかなり遠い所まで来ました。だから精神的二元論はもう転換できない。精神的二元論を受け入れたくないという人も存在するでしょうが、そのような人たちも周りの人間は二元論的人間であるという事を受け入れるしかない。

大事なことは、私たちの精神が分裂しているという事を意識する事で、そしてその分裂は歴史的な出来事であると認識する事だと思います。生真面目に意識的な自分か「内面の自分」かどちらかを選ぼうなんて思ってはダメ。どちらも自分なのですから。