最近、嫌韓だとか、ヘイストスピーチだとか、ねとうよとか、よく話題になりますが、太平洋戦争を判断するためには、あの時代の事をよく知らなければならないと思うのです。あの時代に生きた人たちに出来るだけ寄り添って、魂の息遣いが聞こえるほどに。

この昭和史探索のなかに、226事件で生き残った将校の、226から50年後の座談会というものが載っています。これはもう、歴史上の人物が現代において語り合っていると言ってもいいほどの迫力があります。

明治憲法下において、天皇は政治的なことを何か決断するというのは基本的にありません。何かを決断してそれが判断ミスなんていうことになれば、天皇の権威が傷つくからです。
しかし、昭和天皇は三度決断しています。
一度目は、昭和二年、張作霖爆殺事件の処理の仕方について、当時の田中義一総理を叱責。
二度目は、昭和十一年、226事件のとき決起将校を反乱軍だと断定。
三度めは、昭和二十年の終戦です。

座談会の中で常盤稔は
「第一、天皇が自分のご意思を、直接に宣明されるとは思ってないですわな」
「つまり陛下が226事件を失敗に追い込んだということですね。私は今でも天覧相撲においでになると、ああこの方が、われわれの事件を潰したんだなあ、と思いますよ。パチパチと手などを叩いておられるけど」
と、ざっくばらんにかたってくれています。
湯川康平は
「226の精神は大東亜戦争の終結でそのままよみがえった。 あの事件で死んだ人の魂が、終戦と共に財閥を解体し、重臣政治を潰し民主主義の時代を実現した」
と語ります。私はこの意見には一理あると思うのですが、座談会に出席していた人から、226事件をもっと深く語るべきではないのか、と言う反論が出て、湯川康平はさらにこう続けます。
「陛下の記者会見で、
 記者
おしん、は見ていますか
 陛下
見ています
 記者
ごらんになって如何ですか
 陛下
ああいう具合に国民が苦しんでいるとは知らなかった
 記者
226事件についてどうお考えですか
 陛下
遺憾と思っている
遺憾と思っているという言葉で陛下は陳謝されたと」
座談会の他の出席者から、それは陳謝ではない、という指摘が出ました。

天皇とはなんなんでしょうか。いまは日本国の象徴という、正直ちょっとよく分からないポジションを占めていますが、戦前においては、226の反乱将校などは、天皇は日本国そのもの、天皇のもとに日本国民全てが救われるもの、と考えていたのでしょう。が、現実はどうだったでしょうか。昭和天皇は貴族だったんですよ。少なくとも、戦前において昭和天皇は、自分のことを貴族階級であると考えていたのでしょう。それは十分に太平洋戦争の原因となるものです。