対華21カ条要求というのは、1914年第一次大戦中に当時の大隈内閣が、当時の中華民国大統領袁世凱にたいして出した侵略色の強い要求一覧みたいなものです。

前から私は、
「第一次世界大戦中のドサクサとはいえ、何でこんなものをいきなり出すのか」
なんて思っていました。しかし調べてみると、対華21カ条要求とは袁世凱との取引の結果、すなわち袁世凱が皇帝になることを日本が認める代わりに袁世凱は対華21カ条要求を受け入れろ、ということらしいです。
しかしこの対華21カ条要求は明らかに過大な要求で、袁世凱すら受け入れることが出来ませんでした。

袁世凱は、対華21カ条要求に対する国民の反発で「皇帝」になる事が出来ませんでした。その煩悶によって袁世凱は死去、その後を段祺瑞が継ぎます。
大隈内閣のあとの寺内内閣がこの段祺瑞に資金を流したのが「西原借款」です。西原借款の総額が1億7000万とあります。当時の1円は今の1万円ぐらいだと思います。それで計算すると、当時の1億7000万は今の1兆7000億ということになります。結局このお金、ほとんど返ってきませんでした。

当時の日本政府は、袁世凱、段祺瑞、張作霖という軍閥政権を継続的に後押ししたわけです。しかしこれがダメなんだ。結局こいつらはやくざの親玉みたいなもので、中国を一つにまとめるという能力が根本的に欠けているのです。今からこんなことを言ってもどうしようもないのですが、日本は孫文、蒋介石というルートこそ後押しするべきだったのです。

当時の日本政府が袁世凱や段祺瑞を後押ししたのは、加藤高明や寺内正毅という当時の日本の指導者もやくざの親玉的な人間であるということの裏返しで、彼らは孫文や蒋介石という確固とした道徳を心中に持つ人間より一段劣っていたという事だと思います。
このことは本当に残念です。
近代天皇制とはよく出来た制度だと思います。やくざの親玉でも、天皇というセーフティーネットおかげで威厳を持って国民に接する事が出来ますから。ただやくざの親玉はしょせん2流の人物だということです。


対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点
対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点

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