226事件について考えてみたいと思います。

昭和11年に起きた226事件は、一般的な認識としてあまりいいイメージはないですよね。神がかり的な軍人の失敗したクーデター、日本を太平洋戦争に引きずり込むきっかけの一つ、そんなところではないでしょうか。

昭和初期がどういう時代だったかというと、大正デモクラシーを通して伝統的な価値の崩壊が起こり、個人が歴史から切り離されて、それが常態化しています。その上ものすごい不況です。台湾銀行危機に始まる金融危機にアメリカの金融恐慌が追い討ちをかけ、政府は通貨価値維持のためデフレ政策を採ります。

なんだか、今と似ていますよね。

政府はたぶんこんな事を思っていたのでしょう。
「経済は慈善事業ではないから、一割の犠牲が出るのはやむをえない。九割が確実に救われる道を選択するべきだ」

226事件を起こした将校たちを突き動かしたものが何であったのか。
彼らは非常に悲惨な農民というものに同情していた、とよく言われますが、悲惨な農民、なんていわれても、今の私たちにはピンと来ないんですよね。

私が別の言葉で言い換えてみます。

一割の犠牲なんていうものは許されない。全ての人間が救われるべきだ。農村で貧困にあえぐもの、大東京で孤独にあえぐもの、すべての日本人が救われるべきだ。日本人が日本人であるという事によって救われるべきだ」

とてもナイーブな感情ではあると思います。しかしこの感情の根底は、愛であり善意であり祈りだと思う。
彼らは間違ってない。