今から30年ほど前、私が小学校三年ぐらいのとき、担任の先生が、
「総理大臣というのは飾り物で、それを後ろから操る人がいる」
と言ったのを聞いて、子供なりに衝撃を受けた事を覚えています。今から考えると、総理大臣を後ろから操る人物というのは田中角栄の事でしょう。私は、日本という世界は公平で合理的なものだと思っていたので、この小学校の先生の言葉に世界が崩れるような強烈な不安感を覚えました。

帝国憲法が民主的だったか専制的だったか、というのはよく議論になるところです。大正デモクラシーも帝国憲法下で成立したわけですから、簡単に考えると帝国憲法も運用によっては民主的なものになりうると考えるのが普通でしょうか。
しかし、松本健一は帝国憲法さらには明治国家を鵺(ぬえ)的体制であると言っています。すなわち、国家権力の中心に近ければ民主的になり、遠ければ専制的になるような類のダブルスタンダード体制なのです。これは国家権力の中枢に近ければそれだけ人間の価値が上昇するかのような時代の空気を醸成します。戦前の立身出世熱というのは、明治国家のダブルスタンダード体制から来ているのでしょう。このような前近代的空気は最近急速に薄くなってきましたが、25年位前までは、日本をかなり厚く覆っていました。

盧溝橋事件以前は、国家権力から遠くにある人たちには皇国史観が強制され、国家権力の中心に近いエスタブリッシュメントには天皇機関説が適用されるという具合です。戦後は皇国史観がアメリカ型民主主義に変わっただけで、権力の中枢に近づくにつれて民主主義がないがしろにされるという日本的構造は変わらなかったのです。
私が子供のころ「大人になる」ということは、権力の中枢に少しでも近づいて民主主義や法治国家を軽く見れるようになることを意味していました。一般市民なんていうのは、例えば交通違反を警察に頼んでもみ消してもらったり、市会議員なんかに頼みごとをして何かの受付の順番を早くしてもらったりということで大人になったことを実感するわけです。
今から見れば、このような国家システムは非合理的ではあると思いますが、明治の初期においては何らかの合理性があったのでしょう。しかしこのような非合理的システムを抱えては、日本は世界との軍事的経済的総力戦に勝つことは出来ません。第一次世界大戦以降、列強間の戦争は国家総力戦になる事が明らかになりました。明治国家の鵺的体制を合理化する運動が、満州事変であり226事件です。神風特攻隊もその系列上にあると思います。

私は小学三年のとき、自由の国だと思っていた日本が醜いダブルスタンダードの国だと知った時、世界が崩れるような衝撃を覚えましたから、例えば226事件で処刑された人の気持ちがよく分かります。安藤や磯部などは醜い日本のシステムがどうしても許せなかったのでしょう。彼らは「大人」なんていうものにはなれませんでしたが、自らの主義を貫いて立派に歴史に名前を刻んだと思います。