徳富蘇峰が見直される時が必ず来ると思います。

徳富蘇峰が「終戦後日記」のなかで、自分は終始一貫貴族主義者に対しての平民主義者であったと言っています。平民主義者の徳富蘇峰が、昭和に入って何故軍部をヨイショするようになったのか?
終戦後日記にあの戦争の原因を歴史的に考えているところがあります。

まず

「藩閥政治が凋落して、民権論者が勝ちをせいしたる暁は、いわゆる政党横暴の時代となった」

とあります。民権論者が勝ちを制した、というのはおそらく、大正二年桂太郎内閣が第一次護憲運動で倒れ、その後を継いだ山本権兵衛内閣が大正三年シーメンス事件で倒れた後、大隈重信内閣が誕生して、その後寺内内閣を挟んで本格政党内閣である原敬内閣のところまでのことを言っているのだと思います。
原敬内閣は政党横暴だということでしょう。これはなんとなく分かります。最近は金権政治というものはあまり聞かなくなりましたが、1990年以前は今から考えるとひどい政治が跋扈していました。ロッキード事件、リクルート事件、佐川急便事件、金丸金権問題など、次から次、政治にはお金がかかるからしょうがない的な雰囲気でした。原敬と小沢一郎というのは同じ岩手県出身の議員だというのは偶然ではないでしょう。原敬は大正10年暗殺されます。

徳富蘇峰は続けて

「せめて普通選挙でも行えば、国民の意思が盛り上がるだろうと考えたが、その結果は投票売買の最悪なる買収政治となってきた」

とあります。
普通選挙法の制定は大正14年加藤高明内閣です。それまでは納税額が多い人のみが投票できる制限選挙でした。実際の普通選挙は昭和三年田中儀一内閣時に行われています。最悪なる買収選挙というのはこの第16回衆議院議員総選挙のことを言っているのだと思います。

さらに

「その後、官僚と政党とはやがては野合し、なんとも名状しがたき政治を打ち出した」

とあります。これは浜口雄幸、若槻礼次郎の憲政会内閣のことだと思います。あの当時は世界恐慌の末期で、かなりひどい不景気時代ではありました。

最後に

「最後の望みは陸海軍と皇室である」

とあります。この希望が結局はあの太平洋戦争に続いていくわけです。

太平洋戦争。あの時代は何故あんな事になってしまったのだろう。こんな事を言ったら申し訳ないのですが、軍隊がなければ戦争が起きなかったなんて考えるのは、申し訳ない、これは子供の論理です。徳富蘇峰が戦争に至る道をなぞってくれています。これを見れば、わたし達が戦争を避けるために本当に出来るであろうことが何かが分かるのではないでしょうか。