徳富蘇峰は文久三年生まれ。明治、大正、大東亜戦争の戦前戦中戦後を生き抜いて、昭和32年95歳で死去。時代の生き証人でありかつ空前絶後の大言論人です。

徳富蘇峰は戦前戦後と皇国史観を守ったので、現在ではかなり評価が低くなっていると思います。戦後になっても一君万民とか言っているのですから、この時点でキワモノ扱いになってしまいます。いくら大御所でもキワモノのレッテルを貼られてしまうと、ほとんど死人にくちなしみたいな感じで、どうしようもなくなります。

実際にこの徳富蘇峰「終戦後日記」を読んでみると、徳富蘇峰に貼られたレッテルなんていうのはどうでもよくなります。終戦時点で蘇峰は83歳なのですが、論理は明快、推論のすばらしい切れ味、明治を体験したもののみが語れる重みのある言葉、「終戦後日記」はかなりの到達点にあると思います。

太平洋戦争は何故起こったのでしょうか? 
普通に考えると、軍部が国家の権力を横領して勝てもしない戦争に国民を引きづりこんだ、みたいなことになります。
しかしそんなことがありえるのか? 日本は住民が100人くらいしかいない村なのか?

徳富蘇峰の意見を聞いてみましょう。
「藩閥政治が凋落して民権論者が勝ちを制したる暁は、政党横暴の時代となった。普通選挙でも行えば国民の意思が盛り上がるかと思ったが、その結果は投票売買の最悪なる買収政治となってきた。官僚政治はまだましかと思ったが、それもまた立派に裏切られた。官僚と政党とはやがては野合し、なんとも名状しがたき政治を打ち出した。最後の望みは陸海軍である。爾来ほとんど全力を挙げて軍を支持してきた。その結果が現在の大東亜戦争である」

この意見、どうでしょう? 
徳富蘇峰のこの論理は全てを語っているとは思いませんが、真実の一片を語っているとは思います。
徳富蘇峰の歴史認識、もっとぶっちゃけて言えば皇国史観にはウンザリします。しかしその現状認識にはすばらしいものがあります。物事の本質をつかむその腕力、いや、すごい。

しばらく、徳富蘇峰「終戦後日記」についての文章を続けます。