マルクスは「利子」というものは何なのかを考察します。

支出資本+労働賃金+不払い労働(剰余価値)=商品総額
という公式の中での剰余価値は、結局資本家が全て持っていくわけです。そしてマルクスは、資本家が経営者と出資者に分離された場合、この出資者に対する剰余価値の中での分け前が金利である、というのです。すなわち金利とは独特のあり方なのです。

しかし金利なんていうものは大昔から有ったのではないでしょうか?

もちろんマルクスはその辺の疑問に対してもフォローしています。
資本主義制度下における金利とは剰余価値の分け前ではあるのですが、金融制度が発達してきて銀行にお金を預けるだけで金利がもらえる、市場で株を買うだけで配当がもらえる、ということになってくると、資金の供給量が多くなって金利が資本主義制度下にふさわしいレベルまで下がってくる、お金には金利がつくという事が当たり前になる。結果、金利とは剰余価値の分け前であるということが忘れられてしまいます。

金利には資本主義下での金利制度と資本主義以前の金利制度の二パターンあるということになります。これは今でも存続していて、事業のために銀行から借りる場合は金利が低いですが、個人が遊興のために借りる金利は高くなっています。

金利というものが当たり前になるということで、19世紀前半のイギリスはこれまでの人類の経済的な枠組みを突破したのです。当時イギリスがどのような金融制度で、そしてどのように定期的に恐慌が起こるのかを、マルクスは当時のイギリス政府の議事録みたいなものを多数引用して解説しています。
しかしここは非常に分かりにくいとこで、金融の歴史を精密にさかのぼって検証していかないと19世紀前半のイングランド銀行のお偉いさんの語ったところの解説は理解できないレベルだと思います。

マルクスは7巻の最後でうまいことを言うのです。
資本を持たないが有能な青年がいたとして、彼が事業を展開しようとする時、資本主義下では低利で融資が行われるという事がありえる。出資者は剰余価値の分け前が期待できるところでは、資本主義的金利を適用するからだ。そして支配者階級が被支配者階級から新しい力を取り入れる能力があればあるほど、その支配はますます強固でますます危険である。
そう考えると明治政府はかなりアグレッシブに国家形成を成し遂げたと思います。可能性としては、幕府を倒したのだから薩長幕府をつくって身分制を固定し支配者面して楽しようなんていう選択肢もありえるわけですから。順番としては金利というものが一般的になった後に、支配者階級が被支配者階級から新しい力を取り入れるというブルジョア国家の強固化図られるわけですが、明治政府の場合は被支配者階級から新しい力を取り入れるという態度の方が先に存在しています。おそらく初期明治国家の一定の知的レベル以上の人々に何らかの共通認識が最初から存在していたのでしょう。このあたりが明治国家の不思議なところで、素直にすごいと思います。

資本論
絶対的剰余価値の生産            
相対的剰余価値の生産
資本の蓄積過程
本源的蓄積
岩波文庫 第四巻
岩波文庫 第五巻
岩波文庫 第六巻
岩波文庫 第七巻
岩波文庫 第八巻
まとめ
廣松 渉 「マルクス主義の地平」


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