若槻礼次郎の明治大正昭和政界秘史を読んでのレビューです。

若槻礼次郎というのは、大正、昭和と二度総理大臣になった、かなり有力な政治家です。
昭和以降、二度総理大臣になった人物は4人しかいません。

若槻礼次郎
近衛文麿
吉田茂
安倍普三

若槻礼次郎は、究極的に頭の回転が速い人物です。慶応二年、明治維新の二年前ですね、島根県の貧乏な足軽の家に生まれます。コネも金もないところから総理大臣にまで上り詰めたのですから、よっぽどの刻苦勉励があったのかと思いきや、同書の中にたいした努力の描写もなく、東大に入り、大蔵省に入り、大蔵次官にまでなります。桂太郎に気に入られて、桂内閣の時、大蔵大臣。同書では、何故桂太郎に気に入られたのか、ということは書いてはいないのですが、行間を読むと、仕事が出来る、すなわち頭の回転が速いから自然と気に入られた、という感じです。で、桂太郎の誘いで、同志会の結党に参加。同志会総裁加藤高明内閣の時、内大臣。加藤高明逝去のあと、大命降下で総理大臣。

頭の回転の速い人物には、激動の昭和戦前も「簡潔」に見えています。

昭和恐慌の引き金になった、片岡直温蔵相の渡辺銀行破綻発言は第一次若槻内閣の時ですが、同書によると、この発言自体はたいしたことはなかったのだが、その後議会で政友会が、それ若槻が困っているぞ、もっと財界の暗部をばらしてやれ、見たいな質問を立て続けにしてくる、これには参った、とあり、それが台湾銀行の問題につながっていったと書いてあります。

第二次若槻内閣の時、満州事変が起こります。関東軍支援のために、朝鮮司令官林 銑十郎が二個師団を朝鮮から満州に送ったのですが、これが大問題。当時、朝鮮は日本であったわけで、国内の軍隊を天皇の勅裁もなく、議会も通さず、満州という外国に派遣するなどということは、まさに統帥権干犯です。若槻はこの二個師団の派兵に対して、予算措置をとらないという判断も出来たのですが、あっさりとその予算を認めます。戦前史の本のほとんどは、この若槻の判断を軍に対する弱腰、と非難しています。で、若槻の同書によると、この部分は、「朝鮮の師団が出てないならともかく、もう出てるんだから。兵隊が飲まず喰わずというわけにはいかない。満州軍が非常な冒険をしているのだから、これが全滅でもしたら、満州の日本人居留民どうなるのか」という判断で予算を許可。頭の回転が速いことをうかがわせる、まことにあっさりした判断です。

太平洋戦争が始まると、「こんなイケイケどんどんの戦争は、戦争ではない。子供の戦争ごっこだ」と一刀両断。一番面白いところは、東条英機の第一の参謀鈴木貞一について、
「鈴木というのは奇妙な答弁をする男で、石油生産の目標達成は日本国民に愛国心がある以上必ず出来る、などという答弁をする。こんな男をつかまえて問答する気にはなれない。あるとき東条一人に話を聞こうと思って呼べば、東条は鈴木を連れて行っていいかと聞く。こちらはそれが困るのである」
ちなみに、この鈴木貞一は戦後も生き残り、佐藤栄作などのブレインでもあったという。

若槻の同書は、簡潔で分かりやすく、面白い。頭がいいことが、それなりの価値を生む、そういう人生観。「真の価値なんてものがない以上、その程度の価値で手を打つしかないのでは」、若槻は私たちにそう訴えかける。きわめて現代的である。

本当にそうなのだろうか。


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