宮本常一「忘れられた日本人」という本の中に、土佐の山奥に住む乞食の老人にインタビューしたものがあります。
これがすばらしいのです。
どうすばらしいのかというと、女を語らせたら川端康成より上、告白させたら太宰治より上、というものです。文学的に見ても出来がいいので、このインタビューは宮本常一の創作ではないのか、という噂があったぐらいです。

これを原文を交えて紹介していきましょう。太字は原文です。

この老人のインタビューは文庫本で30ページ、全編老人の独白形式になっています。
独白の時間は昭和15年くらいでしょうか。高知の山奥、四万十川に架かる橋の下に80を越えた乞食で盲目の老人は、60年連れ添っている老婆とともにみすぼらしい小屋に住んでいるのです。
この盲目で乞食の老人にも、もちろん若い時代はありました。生まれは伊予の喜多郡。土佐との国境に近いところです。ててなしごとして生まれ、村の枠組みからこぼれ落ちて、15の時から「ばくろう」の見習いとして働き始めます。「ばくろう」とは西日本においては牛を売り買いする職業を指します。ポジション的には農民の下、盗人の上ということらしいです。二十歳のころばくろうの親方が殺されて、この老人は二十歳にしてばくろうとして独り立ちするのです。明治20年ですね。殺された親方には妾がいたのですが、その妾はこの老人が引き継いだのです。妾には12才の娘がいて、二十歳のころの老人はこの娘と出来てしまうのです。

おっかあのねている間にものにしてしもうた。それからわしは娘をつれてにげた。雪のふる山をこえてはじめて伊予からここまできた
わしも一人前の人間になりたいとおもうた。

紙の原料になる木の売買をして3年ほど暮らしました。しかしその木を管理する役人の嫁さんに惚れてしまうのです。職業柄、その役人の家に出入りするようになるのです。

その嫁さんがええひとじゃった。眉の濃い、黒い目の大けえ、鼻筋の通った、気のやわらかな人でのお。

ドキドキしてきますね。

それでも相手は身分のある人じゃし、わしなんどにゆるす人ではないと思うとったが、つい手がふれたときに、わしが手をにぎったらふりはなしもしなかった。

秋じゃったのう。

この後、山の中腹にあるお堂の中であいびきをするのです。

「わしのようなもののいうことをどうしてきく気になりなさったか」
「あんたは心の優しいええ人じゃ、女はこういうものが一番ほしいんじゃ」

このあと何回かあいびきをしたのですが、老人は相手に迷惑がかかってはまずいと思い、一人で伊予に戻ったのだそうです。

明治25年ごろでしょうか。その青年は伊予に戻ってまたばくろうを始めます。牛の取引の関係で、村の有力者である県会議員の家に出入りするようになります。家のことは女の仕事でしたから、その県会議員の嫁と知り合いになります。

ああいう女にはおうたことがなかった。色が白うてのう、ぽっちゃりして、品のええ、観音様のような人じゃった。

牛の事でその家に通っているうちに、県会議員の家で飼っている牛の種付けの話が出るのです。そして実際に種付けをします。牡牛は事が終わった後牝牛のお尻をなめるそうです。

おかたさまはジイッと牛の方を見ていなさる。そして
「牛の方が愛情が深いのかしら」
といいなさる。
「おかたさま、牛も人間もかわりありませんで。わしならいくらでもおかたさまの・・・」
おかたさまは何もいわいだった。わしの手をしっかりにぎりなさって、目へいっぱい涙をためてのう。

わしは納屋のワラのなかでおかたさまと寝た。

このおかたさまはこれから二年も立たないうちに肺炎でポックリ死んだそうです。その後青年はばくろうとしてあちらこちらを渡り歩きます。50の時に病気で目が見えなくなったそうです。おそらくなんらかの性病でしょう。盲目になって、昔のつれあいのところにもどります。その後30年以上、四万十川の上流に架かる橋の下で乞食生活です。

この盲目の乞食の独白はすばらしいものがあります。
こんな事をいうとなんなのですが、渡辺純一や辻仁成の文章はこの乞食の独白の足元にも及ばないです。なぜなら、渡辺純一や辻仁成の描く女は男から見た女だからです。乞食が描く女は女そのものだからです。

この物語には「落ち」があるのです。乞食が女にモテる秘訣をレクチャーしてくれるのです。

聞きたいですよね。

わしわなぁ、人はずいぶんだましたが、牛はだまさだった。牛ちゅうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、あうと必ず啼くもんじゃ。なつかしそうにのう。牛にだけは嘘がつけだった。女も同じでかまいはしたがだましはしなかった。

牛も女も自分も同じ扱いなわけです。ここまでやらないと真の女は描けないわけですね。これは常人にはムリ。女を描いた日本文学は多いですが、おそらくこの四万十川の乞食がその最高峰でしょう。
辻仁成は女を描きたいなら、フランスに行くのではなく四万十川に行った方がいいね。


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