「世界史の構造」というかなりハードルの高い題名の本なのですが、柄谷行人が10年かけて書き下ろしたというだけあって読み応え十分です。世界の枠組みをこれほど大胆に語ったものというのはそうないのではないか。

この世界は、合理的な思考がある程度尊重されています。しきたりや人間の情念なんていうものは、この世界の眩い光にさらされて、溶けて世界のエネルギーになるのです。
私は岡山の田舎に生まれて、田舎のねっとりとした空気が大嫌いでした。私にまとわりつく全てのものが削ぎ落とされて、すがすがしい世界が現出すればいいのになんていつも思っていました。
今でもそうですよ。
より合理的な世界が来ればいいのに、なんて思っていたら、自分が年をとるにつれて世界は自分の望むようになってくるのです。この世界は少しづつでも進歩しているのだな、なんて思っていました。

どんな仕組みで世界は進歩しているのか、そもそもこの世界の仕組みとはなんなのか、さらに言えば、何故この世界は国家というものに覆われているのか、日本とはいったいなんなのか、太平洋戦争はなんだったのか。

私が昔不思議に思っていたのは、ほかの人はよくあんなに自信満々に日々生活できてるよな、ということです。この世界の構造が分からなければ、断言的なことは何もいえないのではないかと思ったのです。今考えてもこれは誠実な思考態度であったと思います。大人になって思うのは、彼らはこの世界の現状が鉄板だと思って、たいした考えもなく自信満々なふりをさせられてたのだということでしょう。
一つ例を挙げるなら、堀江モンは「自己責任」という言葉を口にしますよね。彼が自信満々に「自己責任」という時に根拠なんていうものはないのです。時代に言わされているに過ぎないのです。

この世界はそのような欺瞞があふれていてる。そしてそれを突き抜けて世界の構造を考えようという柄谷行人という人物に私は敬意を表します。「世界史の構造」という本を読む限り、柄谷行人の歴史哲学というものはかなりいいところまでいっているのではないかな。

「世界史の構造」という本がどれぐらいいいところまでいっているかというと、実際この本を読んでもらうしかないのですし、より詳細に研究しようとするなら、最低カント、ヘーゲル、マルクス、までは読み込まなくてはいけないですし。

まあ、ゆっくり読んでいこうかな思います。