戦中の総動員体制が日本社会を合理化して、それが戦後も継続して戦後日本を高度経済成長に導いたとしたらどうでしょう。

明治維新以降の日本は、より多くの日本人を国家システムの中に取り込んで、日本を巨大化させようという歴史だったと思いますが、どうしても取り残される人というのは存在します。権力に参画できた人間と取り残された人間との対立というものが存在しました。例えば、資本家と労働者とかいうものです。

取り残された人たちも文明開化の中で徐々に国家システムに参画するようになるのですが、そのことを決定的に推し進めたものが、満州事変以降の「国家総動員体制」です。

日本ファシズムというのは否定的なイメージがありますが、私はそれを肯定的に考えたいです。なぜなら、今まで社会的に必要とされなかった人たちが、必要とされるようになるわけですか。

想像してください。

今まで誰からも相手にされなかったような私。自分にどんな可能性があるのか、そんなことを考えることもできなかった。そんな自分に国家が語りかけてくれるのです。
「私が助けてやるから、あなたはあなたの戦場に行け」と

こういうことを「救われる」と言うんじゃないのかな。

戦後もこの総動員体制が巧妙に継続して、日本国民全てを巻き込み、そのエネルギーを吸い上げ、経済というものに注ぎ込んでいく。

そのような状況の中で、戦後左翼知識人は言うのです。
「階級闘争を再開しようではないか。私達のヨーロッパ風の物言いであなた達を自由にしてあげましょう」

うーん、これはボランティアの押し売りではないですか。開放されつつある民衆を総動員体制以前の状態に押し戻すものではないですか。

戦後リベラルの根拠というものは、太平洋戦争という悲劇を繰り返してはいけない、というスローガンにあったと思います。しかしこの論理があまりにも薄っぺらい。時が経つにつれて現実との乖離が大きくなってきます。当たり前ですよね、歴史的事実と異なる主張をしているわけですから。

私の父親は岡山の田舎で八百屋をやっていました。無口な人で、20年前に死にました。ただ選挙のたびにこう言うのです。
「社会党はやっちもねえ。あいつらの言うこたーわからんし、おれらのこともあいつらにはわからんじゃろう」

私は無知の父親というのがあまり好きではなかったですが、かれもそう間違った事を言っていたわけでもなかったのだと思います。