江戸時代中期以降、日本民衆の中で「通俗道徳」というものが発達してきます。「通俗道徳」は勤勉、倹約、正直、憐れみ、などの徳目から成り立っていて、この「通俗道徳」を守ることによって、村や家を次代に繋げていけると信じられていました。
この「通俗道徳」が地域社会で有効に機能するためには少なくとも2つの条件が必要です。1つ目は、村落や家の指導的役割を果たす人間が「通俗道徳」を厳守する事。2つ目は、村落指導者層に権威を付与するための体制的サポートが存在する事です。

明治14年に始まる松方デフレによって、農村地域は厳しい状況に立たされます。村落指導者層には村を維持するという使命感を持って伝統を実践した人も多かったでしょう。
私も日本人ですから、このあたりの感覚というのは分かります。
松方デフレ下、村落指導者層は「通俗道徳」を強化し、村の祭りとか習俗とかのハレ的要素を抑制しようとします。村の秩序を再構成するための権威の源泉として天皇制がよりどころとなりました。

天皇というものは、村落指導者層という国家と民衆の結節点であるところの者を最も拘束したのです。

ここで思い出すのは橘孝三郎です。
橘孝三郎は515事件に参加した民間人です。昭和初期、彼は、農本主義的、まあすなわち「通俗道徳」に秩序付けられたところの農場を立ち上げようとしていました。昭和初期のデフレで荒廃した農村を再生するためのモデルを作ろうとしていたのでしょう。そんな時、海軍の仕官に515事件の参加を要請されるのです。農本主義もいいが、社会の仕組みを変えることも農村を救う事になるのではないかと説得されたのです。橘孝三郎は、自分には妻も子供もいるし未来を託す農場もある、危ない話には参加したくない、と最初思ったそうです。しかし次の瞬間、かれは頭の奥で、

「卑怯者」

という声を聞きました。
橘孝三郎はこういっています。

「そして私は515事件に飛び込んだ」

農村指導者層の、村を維持しよう、日本を維持しようという、執念というか魂というかそんなものを感じます。農村指導者と天皇制は、互いが互いを必要としあうことにより成立していて、国家はそこから国民的エネルギーを調達しているのです。