日本において民俗行事や習俗に対する権力的規制は、17世紀ごろからありますが、本格化するのは明治維新以降です。

江戸時代、幕府の民衆に対する指導というのは村の指導者層にかなり依存していています。その結果、例えば、村の祭りなどにおいては若者組はできるだけ祭りを派手にしようとするし、指導者層は村の秩序を守るために若者組などのハレ的行動を抑えようとしていました。

明治政府は、この祭り等の民俗行事に手を突っ込んできます。明治5年、路上での放尿の禁止、裸体の禁止、道や川にゴミを捨てることの禁止、などが体系的に実施されます。さらに続いて祭礼的な民俗行事が禁止されます。
祭りなどは村の祭日であったりしたのですが、明治政府は祭日を国家的に統制しようとします。旧暦から新暦への移行というのにも、民衆を国家に統制しようという目的もあったのでしょう。

しかし民俗的なものを強制的に統制するということは、簡単な事ではないです。実際明治初期においては民衆の騒乱というものが全国的に起こりました。明治政府はこれを何とか乗り切ったわけですが、秩序が崩壊することなく明治国家が国家としての一体性を維持できた理由のひとつが、日本民衆の生き神信仰にあったでしょう。明治天皇は明治5年から明治18年まで積極的に地方巡幸をします。これは日本人の生き神信仰を考え合わせた、明治国家のアピール行動です。

以下の写真を見てください。
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これは昭和天皇の戦後における地方巡幸の写真ですが、日本人の生き神信仰が戦後も死んではいなかったということでしょう。

このようにして明治国家は日本の習俗を、あるときは利用しあるときは抑圧しながら、国民のエネルギーを国家に集め日本の一体性を維持することに成功しました。

このように一般民衆の視点で明治国家を考えれば、人によって明治国家の評価というものが分かれてくると思います。例えば、祭り好きの人にとっては明治国家は呪いしょう。イタコやこっくりさんなどのオカルトが好きな人は、明治国家、余計な事しやがって、と思うでしょう。

私なんかは、明治人は頑張ったなと感謝の気持ちです。