前回は平田篤胤の国学について考えてみました。平田篤胤の思想が下から明治維新を支えたとするなら、水戸学は上から明治維新を規定したと言えると思います。

水戸学というのはそもそもが秩序の学問です。天皇-徳川幕府-外様大名-武士-一般民衆 という秩序を大事にしましょうというというものです。支配の正統性が薄い徳川幕府に対しての、御三家のひとつ水戸藩からの側面支援という事なのでしょう。

しかしこれ物事を簡単に考えすぎているところがあります。

徳川幕府に力がある間はいいですよ。しかしその力がなくなってくると秩序の枠組みが流動化してきます。天皇を重んじる事によって相対的に幕府を軽んじるという論理が成立します。さらに状況が進むと、天皇を重んじる振りをして状況を操作しようなんていう人間が現れてきます。

その代表的な人物が真木和泉(1813-1864)です。

真木和泉は久留米の神職の家に生まれます。始めは薩摩藩に接近して寺田屋事件で幽閉されると、その後は長州に接近。最後は禁門の変に参加して戦死します。真木和泉は極端な尊王論を展開しますが、未来の状況にたいして安易な予想を立てていたわけではなく、維新成就は「百敗一成の事」と自分で言っています。真木和泉の人生には、徒手空拳ながらよく歴史にいどんだ人間のマキャベリズム的凄みがあります。

真木和泉には世界に対して何らかの確信があったのでしょう。普通の人間は、マキャベリズム的に状況を操作しようとすればそのうち何が何だか分からなくなってきますよ。
真木和泉の「確信」がうらやましい。