平田 篤胤(ひらた あつたね)1776-1843は江戸後期の国学者です。

江戸時代も後期になってくると一般民衆の知的レベルも上がってきます。知的レベルが上がるとはどういうことかというと、自分は何のために生まれてきたのかとか、この世界はどのような仕組みになっているのかとか考えるようになるという事だと思います。

江戸幕府なんていうものは結局強いものが天下を丸めたというだけのもので、そこには支配の正統性なるものが少ないのです。18世紀も後半になってくると、日本においてウエスタンインパクトが強くなってきて、武力だけで民衆を統率するというのが難しくなってきています。民衆の精神の中にまで手を突っ込み、日本国民全体を精神秩序のイデオロギーにまとめる事が必要になってきます。

いろんなまとめ方があったでしょう。その当時一番有力なイデオロギーの一つが平田 篤胤の草莽国学です。

平田 篤胤の論理というのは部分部分を取り出してみれば神国日本中心主義で、現代はもちろん当時においてもついていけないところがあるのですが、トータルで考えてみると、日本の民族信仰を丸ごと包摂しながらそれに秩序を与えようという、きわめてエネルギッシュな精神動態です。現代から見れば、幕末に何故あのような尊皇攘夷という奇怪な思考パターンが存在したのか不思議に思うのです。しかしそれは物質的に満たされ、日本の独立が当然と思われる現代から過去を見たときの感想であって、当時にしてみれば、民衆の精神世界にまで踏み込む秩序の論理の中で最も優秀なものを選択せざるを得なかったという時代の必然性があったのです。平田 篤胤の時代には民俗的世界に根ざした秩序化こそが必要とされていたのです。

靖国神社について考えて見ましょう。
死んだ人間の魂はどうなるのでしょうか。現代においてはいろんな考えがあるでしょう。死んだ魂は現代においては自由なのです。ただ江戸後期となるとそういうわけには行きません。死んだ日本人の魂が当時の社会秩序を掘り崩す可能性があったのです。江戸時代後期においては支配体制の外側に存在する民衆の情念が時代を決定するような可能性があったのだと思います。死んだ人間の魂がどこに行くのか、とくに国のために死んでさらに祭られることのない魂はどうなるのか。民衆の情念にまで、死んだ日本人の魂にまで踏み込んで秩序づけるのが草莽国学であり靖国神社だったのだと思います。

現代においても、混沌ウェルカムみたいな人は靖国神社なんていうものは必要ありません。しかし精神的なものに何らかの秩序が必要だと考える人なら靖国神社は一つの選択肢であるとは思います。