江戸幕府というのは庶民の生活の中にまでは手を突っ込んではきません。現代において課税というものは個人単位もしくは家族単位ですが、江戸時代においては村単位です。まあ17世紀においてはその程度の統治体系で十分だったのでしょう。

しかし18世紀になると日本庶民の精神レベルというのも上昇してきます。此岸の統治体系である幕藩体制の外側に民衆の生活実感みたいなものがリアルに成長してきます。

その一つの例として大杉大明神の大流行が上げられています。大杉大明神とは1727年常陸から始まり上総下総をへて江戸へ広がった流行神で、多数の華麗な神輿の行列が出て大群衆が集まったそうです。
徳川支配体制のその外側には民衆的情念なるものが存在していて、きっかけさえあれば、集団意識のような感じでその情念は此岸に噴出してくるのです。

18世紀末から19世紀初頭にかけて、日本において西洋からの圧力というのが徐々に強まってきます。そのような圧力の下では、徳川支配体制の外側にある民衆の情念にも「秩序性」みたいなものが現れてきます。
例として挙げられているのが大塩平八郎の乱。
大塩平八郎の乱において蜂起勢は、中央に「天照皇太神宮」、両脇に「湯武両聖王」「八幡大菩薩」と書いた旗を掲げていたそうです。ここには情念が歴史の蓄積とつながる事により、価値の秩序のようなものが見えてきます。

何かを知る事が自由への道なのでしょうか。それとも反対に何も知らない混沌こそが自由なのでしょうか。

18世紀末、日本の民衆は何も知らない混沌としての自由という枠組みから一歩踏み出したのだと思います。