世界はどのような仕組みになっているのでしょうか。日本人ですから、まず日本の事を考えていこうと思うのです。現代日本は結構自由な感じでみんなやっていると思うのですが、本当に自由なのでしょうか。本当に何も前提条件はないのでしょうか。

この本は日本近代を考える上で、一つの到達点だと思います。ですから詳細に考えていこうと思います。

紀元1600年前後、信長秀吉家康時代。封建制の時代だったのですが、「天下」という統一日本を表現する言葉が存在していました。北は津軽から南は薩摩まで、日本は一つにまとまるべきだとまではいえないのですが、まとまった方がいいという程度のコンセンサスは存在したのです。その日本を貫く3つの要素というのが、

1 武威をテコとした権力的支配秩序
2 天皇を頂点とする儀礼的秩序
3 伝統的宗教による宗教的宇宙論的秩序

となります。

徳川幕府というのは、儀礼的秩序や宗教的宇宙論的秩序にも気は配ってはいるのですが、基本的に「武威をテコとした権力的支配秩序」がメインの政体です。鎖国体制を敷いていますから、国民の心の中まで手を突っ込む必要はなかったのです。

荻生徂徠(1666-1728)という儒者がいたのですが、彼は「政論」という著作の中で、
徳川幕府の支配体制というのは甘いところがある。権力的支配秩序のみでは、今は太平かもしれないが近い将来、この放置されている民衆の情念のようなもので徳川支配体制がひっくり返る可能性がある。徳川幕府は支配の枠組みを物理的なものからもっと精神的なものにまで広げるべきだ、
と言っています。

これは驚くべき慧眼だったと思います。現実に明治政府は徂徠的なものを実行しましたから。

明治国家自体は滅びましたが、その明治国家精神の延長上に私達は生存しています。

日本には祭りというものが存在します。都市部や臨海部においては夏祭りが主流です。江戸時代においては、この祭りというものは民衆の精神を開放する場でした。この精神の開放度合いというのが現代の比ではないのです。江戸時代、祭りの絶頂においてはフリーセックスになったり、祭りが終わらないということになったりしていました。フリーセックスなんて嘘だろう、と思うかもしれませんが本当です。祭りが終わらないというのはどういうことかというと、「ええじゃないか運動」のように一つの村で始まった祭りが、他の村々に伝播していくのです。

現代において私達は自由に生きているようですが、精神面においては江戸時代の民衆に比べてさえ、本当に自由であると断言は出来ないのです。