出口なお(1837-1918)は大本教の教祖です。

出口なおが「神がかり」をしたのは56歳です。彼女はものごころついたころから社会の最底辺で必死に働きます。古きよき日本人女性によくある献身的な働き、現代から見ればほとんど捨て身の働きです。彼女の場合、その捨て身の働きは生活向上の結果には結びつきませんでした。理由として、父や夫や長男のだらしなさ、明治という時代の厳しさ、などがあげられるでしょう。

ここで問題なのは、まず何故日本人は捨て身の労働をするのか、ということです。現代日本にも過労死やブラック企業問題などに明らかなように、この捨て身の精神は継続して生き続けています。

江戸時代中期に「通俗道徳」と呼ばれる民衆の倫理観が確立されます。通俗道徳の徳目の内容は、勤勉、倹約、正直、憐れみ、などから形成されていています。通俗道徳は、これを村全員家族全員で守ることによって、村や家を次世代につないでいくという、当時においてほとんど唯一の倫理思想なのです。最低でも江戸中期にまで遡れる倫理思想ですから、近代天皇制よりも古い、すなわち近代天皇制の下部構造を構成したような倫理思想です。日本人の心の深くに食い込んで、「通俗道徳」は現代日本人にも引き継がれているのでしょう。

この通俗道徳が効果を発揮するためには、二つの条件が必要です。まず一つめは、これを全員で守るということです。二つめは、社会的上昇のチャンスが開かれてあるということです。出口なおのようなぐうたらな夫をもったり、初等教育を受けていなかったりすると、この二つの条件から外れる事になります。出口なおは56年間頑張りぬいて尚且つ家族の生活が破綻しているのをみて、社会が正しく自分の努力が足りないという考えを転換し、自分が正しく社会が悪いというトータルな自覚に至ったのです。

これは一見傲慢な考えのようですが、56年という時間をただひたすら自分以外の人間に捧げ尽した者のみに許されるある種の預言者状態だと思います。

私は近代において日本というのは頑張ったと思います。その結果として今の日本があると理解しています。しかし、誰が頑張ったんでしょうか。明治天皇や伊藤博文だけが頑張ったのでしょうか。根源的には出口なおのような人たちのまさに無数の捨て身の献身こそが日本を結局は支えたのだと思います。