荻生徂徠(1666-1728)は江戸中期の儒者です。

私達のこの世界は何故このようにあるのか? 天皇制とは何なのか、太平洋戦争とは何なのか、明治維新とは何なのか、連なる疑問を考え続けて、ついに荻生徂徠の「政談」まで読む羽目になりました。

荻生徂徠の「政談」は、読みにくくはありますが、内容的には理解可能な範囲です。
核心部分だけをざっくり要約すると、
徳川幕府のシステムというものは、ただ家康公の遺産を継続しているだけで、現状においては体系的社会システムとして統一性がない。現在、武士は城下町に居住しているが、これでは日本全国を統一的に支配する事はできない。武士が農村に住むということから始めて、日本を精神的物質的に統一して、一つの生命体、一つの体系として活性化するべきだ、というのです。

この考え方は、国民の精神生活まで国家が手を突っ込んできた明治国家、さらには現代の日本につながるものがあります。

荻生徂徠は、国民を導く体系的システムを「術」と言います。中国古代の堯舜などの聖人は、国民の精神面物質面を何百年にもわたって巨大に巻き込む術を形成しました。そこに生きる人間は、その術なるものを意識することなく、社会を維持することにそれぞれの生きがいを見いだし、自分の人生に満足しながら次の世代にその精神を継承する。何百年にもわたり時代は維持されるのです。

これは古代における理想郷の話のように思えてしまうのですが、実は明治維新から現代に至るまでの、何らかの日本近代精神の核心をえぐるものではないでしょうか。
現代日本において無職なんてものは蛇蝎のように軽蔑されます。人は自らの長所を活かし、社会のために役に立ってこそ、価値のある人生が送れるという。荻生徂徠的に言えば、私達は明治国家を創った人たちの術の中にいるわけです。

結局人間は術の中でしか生きられないし、その術から出ようとすれば、術のそとにまた別の術を創ってそこに移行するだけ、結局たいして変わりがない。荻生徂徠は何らかの真理を語っていることになります。

荻生徂徠はやんわりとしたマキャベリズムを語る。



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