河上肇(1879-1946)は大正昭和の経済学者です。

戦前という時代は、年金制度も社会保障もなく、驚くほどの自由主義経済です。今で言うところの「自己責任」。現代よりかなりキツイ自己責任世界でした。
本書によると、人間が一日で必要なカロリーは3500カロリーらしいです。1899年のイギリスで一日3500カロリー以下で生活せざるをえない人が、成人の30パーセントに達するという統計があります。世界で最富裕のイギリスでさえこのありさま、遅れて資本主義に参加した日本は推して知るべし。河上肇はこのような世界の現状が道徳的に許せないと感じたのです。

人間は一日3500カロリーを摂取してその日その日を生存していればいいという存在ではない。人間は、生存する事によって知性を磨き、知性を磨く事によって道徳的高みに至るべきものである。肉体、知性、人格を出来うる限り開放する事が、人生における個人の目標である。河上肇はそのような事を本書で言っています。

この河上肇の意見は、現代から見てもそう見当はずれというのではないと思います。

一日3500カロリー以下で肉体もまともに維持できないのなら、自らの潜在的な知性、人格を開放するなんていうことは難しくなります。
しかし、知性、人格を開放するための明治維新だったのではないでしょうか。
明治国家の指導者層は河上肇の言葉に耳を傾けるべきだったのです。ゆっくりとでも自由主義の日本から社会民主主義の日本へと舵を切るべきだったのでしょう。

民衆の情念というものを無視して、日本のエスタブリッシュメントが自分達の貴族生活の維持に心を砕くばかりだった結果、最後は太平洋戦争。わずかの陣地を守るために、全ての陣地を失うという。

河上肇の語る社会民主主義論というのは、今から考えれば当たり前の論理です。しかし日本は資本主義の道程を急ぎすぎたのでしょう。昭和天皇や西園寺の智恵の進歩が、時代についていく事が出来なかった。昭和天皇や西園寺公望が普通の人間だったというのが悪いわけでもなく、日本が遅れて資本主義に参加したのが悪いわけでもなく、ただ現代の私達は太平世戦争の犠牲者に哀悼の意を表すのみです。